タグをつけているとき、何をしているのか
ここまでのアウトライン:
今回は「タグ付け」という行為について考えてみます。
Cosenseでの発見
Cosense(旧Scrapbox)を使いはじめたとき、一つの問題にぶつかりました。Cosenseは、ハッシュタグもリンクであり、二つに区別がありません。それが使いやすさの一端を担っているのですが、微妙な障害も生みました。
たとえば、「本」です。
今、『ラテンアメリカ文学入門 - ボルヘス、ガルシア・マルケスから新世代の旗手まで (中公新書 2404)』という本を読み終えて、それについての情報をまとめようと思ったとします。すると、書名をタイトルにして、書誌情報を書き込むのが一般的でしょう。Amazonのページをクリップすれば、そうした情報は簡単に取得できます。
で、そのようなページについて──Evernoteと同じような感覚で──タグづけをするとして、「#文学」や「#ラテンアメリカ」などが思いつきますが、より根源的な「#本」というタグもつけたくなります。
その「#本」タグをクリックしたら、自分がそれまでに作ってきた本のページが一覧できる。雰囲気で言えば、「本棚」を表示するようなものです。Evernoteなどでもカードビューで表示すればそういう感覚になりました。知的生産活動を補助するためというよりも、一種のライフログとしてそういう「一覧」を欲していました。
なので「#本」と付けてみたのですが、すぐさま意味論的な混乱がやってきました。
たとえば、Cosenseの同じプロジェクト内で「読書の効能」というページを作り、その中で「本は安価な知的革命装置である」という記述を書いたとしましょう(たんなる例です)。その際に「[[本]]は安価な知的革命装置である」という風にリンクを作ってしまうと、そのページの関連に、自分が買った本の一覧が表示されてしまいます。あきらかにそれは「誤った関連性」です。そのページで表示されて欲しい関連は、他の観点から「本」について論じているページでしょう。
仕方がないので、私は書誌情報が記載されたページには「#書籍名」を付与して、「#書籍」や「#本」とは区別されるようにしています。
意味空間の交差
もしこれが、Obsidianのようにリンクとハッシュタグを別物として扱うツールなら、話はもっと簡単だったでしょう。本についての論考は[[本]]とし、本についての情報は#とすればいいだけです。
しかし、そうした切り分けは何によって成立しているのでしょうか。
Evernote的感覚で言えば、タグは大きく二つの役割を持ちます。一つは「ノートブックによる絞り込みをさらに進めるもの」。つまり「Media」というノートブックの中にある「book」タグがついた本を絞り込む、といった使い方です。
もう一つは、ノートブックの越境です。つまり、「Media」というノートブック入っているノートと、「Lifelog」というノートブックに入っているノートと「欲しいものリスト」というノートブックに入っているノートを、串刺して一覧する使い方です。
どちらの場合でも、「ノートブック」というより大きな軸に対して作用する検索補助のメタ情報でした。Obsidianのタグ機能も概ね似たような役割を担っています。
しかし、Cosenseではそれができません。すべてのリンクというメタ情報が等しく扱われています。これは一見不便なのですが、そのラディカルな状態から見えてくるのが、「意味空間」です。
タグをつける
Evernoteで考えましょう。何かのノートがあって、そこに「本」というタグを与える。これはまったくもって自然なやり方ですが、曖昧さは最大級に膨れ上がっています。端的に言えば「本についての情報」なのか「本の情報」なのかが区別されてないのです。
逆に言うと、私たちの日常的な認識における「本」というメタ情報は、その内実がそこまで厳密なものではない、ということです。その言語使用感覚のままタグづけをすると、二つの役割が異なるノートに対して同じ「本」というタグを振ってしまうわけです。
言い換えれば、私たちがあるノートに(素朴に)「本」というタグをつけるとき────すなわち「本」という言葉を使うとき──、そのときどきで異なる空間が広がっているということです。あるときに本という言葉を使うなら、それは書籍そのものを名指し、別のときに本を使うなら、それは書籍文化を名指している。
それが混ざり合ってしまうと、検索結果や一覧が望まない状態になってしまいます。だからそれを切り分ける発想が必要です。
プロパティーという限定化
NotionやObsidianやCapacitiesでは「プロパティ」という形でノートにメタ情報を与えられます。これを使えば、意味空間を限定する形でタグが付与できます。
たとえば、「Media-type:本」とすれば、そのノートが「本」というメディアの記録であることは一目瞭然です。書籍文化について論じてあるノートと混ざり合うことはないでしょう。逆に「subject:本」とすれば、それが本を主題にしたノートであることは自明です。それで絞り込んでも、「買った本の一覧」が表示されることはありません(もちろん、「Media-type:本」かつ「subject:本」というノートもありえることは言うまでもありません)。
他にも、映画では監督と主演が同一人物であるという場合があります。このとき、ただタグを付けているだけではその詳細は見えてきません。プロパティで「監督:hoge」「主演:hoge」としておけば、はっきりその内実がわかるでしょう。
このように、ノートに対するメタ情報を自由に付与できるタグは、何かしらの形で限定(有限化)されていた方が、その「意味」がはっきりしてきます。
別の言い方をすれば、自分がタグを与えようとするとき、それはどの意味(≒意味空間)においてそのタグを付与しているのか考えておくのは非常に有効です。
用途が限定されているならば
もし、そのノートの用途が限定的であればここで挙げたような問題は生じません。つまり、買った本を保存するノートと、自分の着想を書きとめるノートが別ツールならば、どちらでも「#本」というタグを使えばいいのです。これは、ツールによって意味空間を切り分けていることを意味します。
しかし、一つのノートツールにさまざまな役割を求めるようになると、上記のような切り分けの視点が必要になってきます。
Cosenseにおいても、ただ一覧を作るためだけのリンクであれば、「#type:本」 のように接頭辞をつけた特殊なリンクとしておく手もあります。その役割でしか使われず、文章の記述に登場することはありえないリンクにするのです。さらに、そうしておけば「type:」と入力した段階で他のタイプのサジェストが表示されるので使いやすさも上がるでしょう。もちろん、私のようにごく特殊な普通の用語を使って、切り分ける方法も機能はします。
さいごに
今回は、一つのタグがどのような「意味」で使われているのかを考えてみよう、という話でした。再帰的に言えば、タグというメタ情報の、メタ情報を巡る思索です。
その意味で、「Media-type:本」というプロパティは、”本”というタグのメタ情報を付与しているとも言えます。そうなると、その「Media-type」のメタ情報は? と再帰的な無限後退が気になるわけですが、これを「思索しなくても明らかもの」(直観的にわかり、間違えないもの)にしておけばそこが切断線となります。「type」「source」「date」「author」は多くの場合自明でしょう。そのような自明なものがメタ情報の起点となります。逆に言えば、自分にとって明確ではないものをプロパティ名にしない方がということも言えそうです。

