デジタルノートの時間性と可搬性
データとの長い付き合い
「デジタルノートのSanta問題」から話を展開していきましょう。
今回は「時間」の次元を導入してみます。
時間の関数
Santa問題の次の二つを再確認しましょう。
保存できる情報量が多い
扱える情報の種類が多い
これらは瞬間的な話でもあります。つまり、今日情報を1GB保存することもできるし、その情報の内訳が、テキスト・画像・音声・動画のミックスであることもありえる。
でも、それだけではありません。時間と共に増えていく──つまり時間的な話でもあるのです。むしろ逆に考えてもよいでしょう。
私たちはデジタルツールを長く使うことができる。その時間の中で、保存したい情報や扱いたい情報の種類が増えていく。そのような時間と共に変化する関数として捉えるのです。
そうした観点を成立させるのが、「可搬性」です。
データを移す
たとえば紙の手帳は一年使えばお役御免です。情報の保存場所としては使い続けられますが、新しい情報の保存場所としては機能しなくなります。記述量に物理的限界があるアナログノートでは、こうした「代替わり」が常に発生します。
デジタルノートではどうでしょうか。
デジタルノートを動かす端末──たとえばパソコン──も一つの物理的存在なので壊れることがあります。壊れたら新しいパソコンを使うことになりますね。そのとき、まっさらな状態(タブラ・ラーサ)からスタートさせることもできますが、前のパソコンからデータを引き継ぐこともできます。いわゆるバックアップというヤツです。
このバックアップがあるとき、それまで入力していたデータは新しいパソコンに引き継がれ、それまでと同じように使い続けられます。
紙の手帳のように古いものがアーカイブになり、新しい手帳が入力装置へとバトンタッチしていくような形ではなく、一つの「データ群」を使い続けることが可能になるのです。
何を当たり前のことを、と思われるかもしれませんが、仮にそのパソコンが、インターネットに接続することができず、ファイルを外部にコピーすることが一切できない奇妙な端末だと想定してください。そのとき、そのパソコンは紙の手帳と代わらなくなります。つまり、情報がデジタルで保存されていることではなく、そうしたデジタルデータをさまざまに操作できる環境があるからこそ、こうした引き継ぎが可能になる点はあらためて確認しておく価値があります。
可搬性
パソコンのデータが一代目から二代目へ引き継げるのは、「バックアップ」が作れるからです。もっと単純に言えば、データをコピーし、転送できるからです。
そうしたことが可能な状態を、ここでは「可搬性」と呼んでおきましょう。搬ぶことが可能である、ということ。
可搬性がある限りにおいて、デジタルの情報はいつまでも生き続けます。ここでの「生き続ける」とは操作・参照可能な対象であり続ける、くらいのニュアンスです。活用されているかどうかは別として、その可能性が担保されている状態のこと。
はるか昔はフロッピーディスクやCD-Rといった装置によってデータの可搬性は維持されていました。しかし、保持できる量に限りがあったり、違うOSに移動するのが難しかったりと、(現代に比べると)可搬性はそう高いものではありませんでした。
今では、ずっとその可能性は広がっています。クラウドツールの登場で、OSの垣根を越えて情報を搬ぶことができるようになっています。つまり、より長い時間同じデータ群を扱える可能性が増えているのです。
(改めて注意を促しておくと、パソコンとスマートフォンで情報が共有できることも、可搬性があるからこそです)
アプリケーション・レベルでは?
ここまでは端末レベルの情報の可搬性を考えてきました。今度は、アプリケーションレベルで考えてみましょう。
たとえば、テキストファイルで情報を保存しておけば、アプリケーションのことは考えず端末・OSレベルで情報を搬ぶことができます。一方で、特定のアプリケーションに保存された情報は同じようにはいきません。そのアプリケーションから別のアプリケーションに情報が動かせない(あるいはきわめて動かしにくい)場合が出てきます。
そのアプリケーションを使用している間は、端末から端末へのデータを動かすことはできても、そのアプリケーションから別のアプリケーションにデータを動かせないならば、可搬性は(局所的に)低いといえるでしょう。
この問題は、Evernoteがversion10にアップデートし、その後無料アカウントでは日常的な用途でほぼ使えなくなったときに一気に噴出しました。テキストファイルようにフォルダごとコピーすればデータを移動できるとはいかなかったからです。
この文脈において、Obsidianは大きな存在感を獲得したと言えるでしょう。もともとObsidianは、「Evernoteはノートがリッチテキストなので、プレーンなテキストで扱えないのが不満」な人たちに愛好されていたのですが、その裾野が一気に広がった感触があります。
では、Evernoteというツールがまったく可搬性を持っていなかったのかと言えばそうではありません。他のツールに移行した人はたくさんいますし、その人たちはデータを搬んで新しいツールに移っていきました。Evernoteにエクスポートという機能があったからです。
エクスポートされたデータがそのまま使えない場合でも、それを解析し、変換すれば別のツールに移動させることは可能です。それが「デジタルツール」ということの意味です。
たしかに少しの手間はかかるかもしれませんが、10年分の手帳を手書きで写すような手間とは比べ物にならないくらいに簡単です(ChatGPTの登場でさらに簡単になりました)。もちろん、以前の環境とそっくり同じ状態で移行できる保証はありませんが、そもそもツールを変えているのだからそれは当然でしょう。エクスポートはあくまで「データを外に出す」ことを担保しているだけであって、移行先のツールでまったく同じ使用感が得られることまでは担保されていません。
マンションを引っ越したら住み心地が変わるのは当然ことで、それを踏まえて引っ越しするかどうかを決めればいいでしょう。
ユーザーを本当に「ロックイン」させるのは、そうしたエクスポートを一切禁じているツールです。そうしたツールは──デジタルツールの特性を殺しているので──批判的なまなざしを向けるのもよいですが、そうでないならば言葉に躍らされていないかに注意を払う必要があります。
可搬性を考える
というわけで、デジタルノートを使う上では可搬性を考慮した方がいいことは間違いありません。
ノートを使うことは人生に並走する長い活動であり、端末を乗り換えるだけでなく、使用しているアプリケーションを乗り換える場面も出てきます。それは、アプリケーションのアップデートの方向が自分の好みに合わなくなったり、開発が止まってしまったりするだけでなく、そもそも自分の趣味が変わったり、飽きてしまったりすることが起こりえるからです。だからデータは移せたほうが好ましい。
しかし、これは「すべての情報」に対して均一に適用できる方針なのかは改めて検討する価値があるでしょう。アプリの開発が止まったり、端末が壊れたらそれでサヨナラするデータがあることは罪なのかと言えば、そうではないはずです。
長く保持し、使っていきたい情報もあればそうでない情報もある。その両方を扱えるのが「ノート」というツールなはずです。むしろ、長い時間のスパンで捉えれば、長期保持を保持しない情報と出会う可能性も上がってくると思います。

