ノートの用途のデザイン
使い方を自分で考えること
ここまでのアウトライン(抜粋):
前回でノートの用途のそれぞれの特性を確認し終えました。この捉え方ができると、「ノートの使い方」への眼差しが豊かになると思います。
たとえば学校の板書ノートも、それを「学習」と捉えるのか「備忘」と捉えるのかで大きく意味が異なってきます。つまり、授業のその最中にノートを取りながら自分の頭に入れ込んでいく行為(学習)なのか、ひとまず書くだけ書いて家に帰ってから振り返れるようにしておく行為(備忘)なのかで、当人が感じる意義も違ってくるでしょうし、それ以上にノートの「書き方・使い方」が変わってくるでしょう。
こんな風に道具については、道具ばかりを見つめているだけだと「使い方」の視野は狭まってしまいます。それを使う人・使う状況・使う目的などを踏まえて、全体的な「使い方」を考える必要がありそうです。
使い方をデザインする
当たり前ですが、紹介したアーキタイプすべての使い方をしなければいけない、という話ではありません。自分が求めているものに合わせて使っていくのが基本であり、それは自分が人生で何を欲しているのかに関わっています。そんなものをトップダウンで押しつけられたくはないですね。
ということは、ノートの使い方は自分で「デザイン」する必要があるということです。
特定のノート術だけを「ノートの使い方」だと限定し、それ以外の用途を「間違った使い方」と断じるような主張に乗っかる必要はありません(そうした主張はマーケティングな修辞なです)。人とノート、つまり書き留める行為との関係はもっとずっと広いものです。その広い領域の中で、それぞれの使い方を設計していけばいいのです。
特定のノート術は、特定の用途に向けてデザインされており、その用途においてはたしかに効果を発揮するはずですが(それもいささか心もとないですが)、そもそも自分がその用途を欲していなければ何の意味もありません。最悪なのは、「あなたが欲しているのはこの用途なはずだ。だからこのノート術でいいんだ」という説得です。それほど抑圧的な押し売りはなかなか見かけるものではありません。見かけたら全速力で逃げ出しましょう。冨岡さんのセリフを借りれば「生殺与奪の権を他人に握らせるな」です。
もちろん、右も左もわからないときに「見様見まねで」スタートするのはよいでしょう。というよりも、そのようにしかスタートを切れないのが私たちです。しかしそれは、あくまできっかけや手がかりを得るようなものと考え、その先に「自分なりのノートのデザイン」を見据えて欲しいと思います。
道具を増やす
そうしたデザインの根底にあるのは、自分が何かしらの情報と出会ったときに、それをどのように扱いたいのかを考えることです。
デザインの道具箱が貧相だと「保存して、終わり」となるわけですが、それでは備忘の役割しか果たせず、最悪その用途すらおぼつきません。逆にそれが豊かだと、「こうしたいな」と思ったときにパパッとその方法が閃くようになります。ノートについていろいろ学ぶのは、そうした状態を目指すためだと言ってもいいかもしれません。
よって以降の投稿では、具体的な局面でどのような「考え方」があるのかを見ていくことにします。

