デイリー方式とファイル
個別のファイルがなくなって大丈夫
ここまでの流れ:
前回は、デイリーで扱うメモと着想の違いについて確認しました。こういう部分の齟齬も使いづらさにつながるので注意が必要です。
今回は、先送りしていた「ファイル」の問題を検討します。
一日一ファイルは必須か
一般的な運用では、デイリー方式は一日につき一つのファイルが割り当てられます。この段階ですでにややこしい話が始まっています。
たとえば、Obsidianや(現行の)Logseqの場合、一つの日付に対して一つのファイルが作られます。非常にわかりやすい構図です。
では、Evernoteはどうでしょうか。あるいはRoam ResearchやWorkFlowyでは? そうしたツールでも一日単位の記述場所が用意されますが、新しい「ファイル」は作られません。せいぜいデータベースの一項目が増えるだけでしょう。
ここにデジタルノートの話をすることのややこしさが潜んでいます。
アナログノートの場合は、「ページ」はページです。それ以外の存在論的言及はできません。しかし、デジタルノートの場合は、「ファイル」と「ページ」が一対一で対応しない可能性があるのです。
とは言え、ユーザーから見たときはそこまで強い区別は生まれません。Obsidianで「2026年02月10日」というタイトルのファイルを作ったときと、Evernoteで「2026年02月10日」というタイトルのノートを作ったときの「見え方」は、だいたい同じです。
このように実際のデータがどうであるか、という観点ではなく、ユーザーが見たときの(つまりUIとしての)情報の区切りを「ページ」と呼びましょう。
「一日一ファイル」という言い方をしてしまうと、Obsidianは適合し、Evernoteは適合しないことになりますが、「一日一ページ」という言い方をするならば、これらのツールをまるっとひっくるめることができます。
デイリー方式は、一日に対して一つのページを当てる
たたき台のテーゼができました。
ラディカルな敷延
上記はそこまでややこしい話をしていないと思います。ファイルの実態が個別のテキストファイルなのかデータベースの一項目なのかは無視して、ユーザーにどう見えるのかという観点で「ページ」という概念を作る。
ということは、極端に言えば、ユーザーから見て「ページ」があるならば、ファイルの実態はどうだっていい、という話になります。
すると、一日一ファイル、総合データベースに加えて「総合ファイル」という手法の可能性が見えてきます。つまり、テキストファイルを日ごとに分けるのではなく、一枚のファイルにまとめて書いていくのです。
たとえば、OBTF(one big text file)という手法では、まさにそのやり方が採用されています。あるいは、MacのアウトライナーであるBikeで日ごとのノートを作るなら、きっと以下のようになるでしょう。
ファイルとしては、一枚のテキストファイルがあるだけです。その中に、それぞれの日付の項目がある。見た目としては、WorkFlowyのデイリーと同じですが、こちらはデータベースを背後に持っていません。ただ、テキストファイルがあるだけです。
これでも問題なくデイリー方式は運用できます。Bikeならズームイン(フォーカスイン)機能があるので、特定の日付の項目だけを表示することで「デイリー感」はより強まるでしょう。
とは言え、そんな機能がなくても、一枚のテキストファイルに書いていくだけでも十分です。やってみるとわかりますが、ある程度記述が増えてくると前後の日付の情報は「見えなく」なるので、一ファイル方式とほとんど変わりません。
そして、運用のスタイルとしてはこの「総合ファイル」方式が一番シンプルでしょう。複雑なことはできませんが、考えることも少なくて済みます。
デイリー方式の胆
さて、上記のような総合方式を取った場合、テーゼはどうなるでしょうか。
デイリー方式は、一日に対して一つのページを当てる
OBTFやBikeの運用を範疇に加えるならば、「ページ」をより広く解釈する必要がありそうです。アウトラインの一項目、テキストファイルの見出し一項目も「ページ」である、と。
つまり、デイリー方式の胆はただ一つ、「その日付のための書く場所があること」。これにつきます。その場所が、ファイル的にどうなっているのかは副次的な話に過ぎません。その日付用の書くスペースが準備されるなら、それらはすべて「デイリー方式」です。
この視点を取れば、さまざまなツールの「デイリー」は、同じメロディーを異なる楽器で演奏していると捉えられます。統合的な視点に立てる、ということですね。
もちろん、それぞれのやり方に差異がないわけではありません。その点は次回検討しましょう。


