デイリーにおけるメモと着想
似ているけども異なる二つ
ここまでの流れ:
前回は、一口に「デイリー」といっても用途に違いがあることを確認しました。用途が違えば、効果的な運用のスタイルも変わってきます。
今回は、なかでもややこしい「メモ/inbox」と「着想/idea」の違いに注目します。
メモとは
まず用語の整理が必要ですね。「メモ」と「着想」は、日常の言語感覚ではカテゴリーが揃っていない感じがあるので、確認しておきましょう。
ここでの「メモ」は、心に浮かんだものを、後で処理するために、書き留めておくもろもろの総体を意味します。基本的にその時間的な射程は短いものです。言い換えれば、「後で」というのは半年後や一年後を意味しません。数日内、せいぜい一週間前後が一般的です。
ではその「処理」とは何か。
基本的には実行のことです。たとえばメモに「○○さんに連絡する」と書かれていたら、実際にその連絡を行うこと。それを行えば、メモは晴れてお役御免です。捨ててしまっても構いません。
もちろん、すぐさま実行できるとは限らないでしょう。そのときは、カレンダーか電子的なリマインダに「○○さんに連絡」と書き込むことで、未来の自分への”引き継ぎ”を行うことが暫定的な処理になります。
以上が、もっともベーシックなメモの運用です。
メモの性質
さて、人間の脳はさまざまに活動していて、唐突にいろいろなことを思い浮かべます。紅茶を飲んでいたら過去の記憶が思い出される、というように目の前の文脈に沿ったものだけを思い浮かべるわけではありません。SNSに投稿しているときに「はっ、確定申告をやらないと!」と思いつくなどざらにあります。
その意味で、「思いつき」は超文脈的です。目の前の文脈に制約されていない。
それに「思いついた」内容がどんな文脈に属するかは即座に判断できるとは限りません。ちょっと頭を働かせる必要があったりするのですが、何かの作業をしているときはそういうことはやりたくないわけです。
そこで「とりあえず、メモする場所」が有用になります。自分がどんな作業をしていても、それと関係なく「メモする」場所があれば、超文脈的なことを扱えるようになるわけです。
それが野口悠紀雄のポケット一つ原則であり、GTDのinboxなわけですが、処理しがたいものが増えてくると認知的に苦痛になるので「ページ」という区切り(分節化)を導入することで、扱いやすくするというのがデイリー方式のメモでした。
その意味で、一つの「思いつき」がある日付のページに書かれているのは、単にその思いつきがその日に生まれたから以上の意味はありません。たまたま別のページに書いたとしても破綻はやってきません。
仮に何らかのツールで「10件ごとにページ形式で表示する」ということが可能ならば、デイリー方式を使わなくても、認知的な負荷が軽減できるはずです。言い換えれば「分かれていさえすればよい」のです。
着想
さて、「着想」はどうでしょうか。
これは何かしらのアイデアを意味します。しかし、アイデアとは何なのかは難しい問題です。ある意味で、思いつくさまざまで感情的な反応でないもののほとんどが「アイデア」と呼ぶことができます。
ここでは「実行」に直接関わらないものとしておきましょう。たとえば、「はっ、確定申告をやらないと!」はアイデアではありませんが、「国民の義務として確定申告を設定すればいいのでは?」はアイデアです。
その中身の新規性や有用は問いません。単に、それが実行にダイレクトに関わっているかどうかが鍵です。
ちなみに、それが「アイデア」という言葉の一般的な定義だと言いたいわけではありません。私が「アイデア」という言葉をそのように使えと社会に迫っているわけでもありません。個人が情報を扱う上で、一定の特性を持つものを他と選り分けるために、それらをここでは「アイデア」と呼んで区別しているだけです。
よって、区別が成立するならば他の名前で呼んでもいいのです。とりあえず、ここではそれを「アイデア」と呼んでいる。それだけです。
なぜそんな注意書きをするのかと言えば、ここで私が「アイデア」と呼んでいるものが、これをお読みの方の「アイデア」と同じものとは限らないからです。違いがある可能性がある。その点を踏まえておかないと、「アイデアの扱い方」として理解したとしても、すれ違ってしまいます。「こんなのアイデアの整理には使えないよ」といって、そこで言われる”アイデア”の中身がズレていたら議論は成立しないでしょう。
小難しい言い方をすれば、個人の情報整理活動では用語の定義自体が論争的です。というか、それを統合する”学会”は個人の外部ではなく、内部にあります。よって、他の人の話を読むときは、常に”翻訳”を意識する必要があります。自分の用語に引きつけて読むのではなく、その人がどういう意味でその言葉を使っているのかを把握することに努める必要があるのです。
と、脱線してしまいましたが、思いつくもののうちで「実行」的な処理ができないものをここでは「アイデア/着想」と呼びます。
着想の扱い
着想の扱いは、とてもやっかいです。メモが固形の物質だとしたら、着想はアメーバ(あるいはスライム)のようにぐにゃぐにゃしています。つかみ所がない。
場合によっては、ある着想は、読み返す中で新しい着想を呼び込むかもしれません。「追記」という処理が求められます。
別の着想は、予告もなくある行動に駆り立てるかもしれません。ブログで記事を書いたり、コーディングのAIエージェントを立ち上げたりするかもしれません。
さらに別の着想は、キングスライムのようにいくつかがまとまって、より大きな形になるかもしれません。それで新しいプロジェクトが始まることもありえます。
上記のように着想は、変化するものであり、その変化のうちに「くっつく」という性質があります。この点が、ややこしいのです。
メモと着想
固形的なメモは、「箱の中から一つ取り出し、それについて考えたり実行する」という運用ができます。メモは断片的な存在ですが、その扱いは個別的です。独立しているといってもいい。
しかし、着想はそうはいきません。ゲル状の着想は、メモのように「箱の中から一つ取り出し、それについて考えたり実行する」はできないのです。というか、それをしても何も面白いことは起こらないでしょう。手の上にゲル状のどろっとした感触が残るだけです。
着想は、他の着想と並ぶ中で”化学変化”を起こします。一つひとつ個別に扱うのではなく、ある流れ・陳列において眺めることではじめて「その次のステップ」が刺激されるのです。
つまり、大きなレベルにおいてメモと着想には効果的な扱い方に違いがあります。
一つの良い例
その好例は、Obsidianでよく示されています。
Obsidianでは、「デイリー形式」でファイルを作ってくれます。そこにメモを書いている人も多いでしょう。
それと同時に、コミュニティープラグインの「Thino」も人気です。このプラグインは日々のメモ入力をサポートしてくれるもので、デイリーにメモを書き留めると共に、それを「一覧」するビューも提供してくれます。
メモ自体はデイリー形式でファイルごとに分かれて保存されていますが、そうして書かれたメモ(リスト形式の部分が抽出されている)が日付の区切りなく一列に並んでいます。SNSのタイムラインにも似ていますね。
このようなビューに一定の人気が集まっている点が、日ごとによる「分節化」だけでは足りないことの証左です。一覧されて欲しい何かがある。
私の場合、そのような着想の書き留めはWorkFlowyで行っています。
私はメモと着想を分けずに書き留めていますが、やはり着想はこのようなビューで閲覧したいのです。
着想も数が多いので、認知的な補助としての「区切り線」があれば嬉しいですが、しかしファイルごとに分けて、ビューから一覧性がなくなるのは嫌なのです。着想はスクロールして(日付があってもそれを越境して)閲覧したい。
そして、散り散りになった着想に変化を与えたい。
実際こうしてスクロールしてみていると、ある日と、その三日前と、一週間前とで関連する話題を書いていて、それが一つにまとまるような感覚があります。脳内でその結びつきが”発見”(あるいは再確認)される感じです。
そこには何か、「思いつきで何かを言う」以上のものが含まれていそうな予感があります。まさにそれを求めるからこそ、着想を書き留めているわけです。
あらためてメモと着想
メモも着想も、基本的には「思いつき」を書き留めたものです。
それらの中で、メモは単独で処理可能であり、着想はそうではありません(そのように定義している、という点を再確認してください)。その性質の違いを踏まえると、好ましいビューの形を考えやすくなります。
ちなみに、「ネタ帳」に書き留められるネタは、半分メモで半分着想です。情報の分類では、このような中間的なものがわんさか出てくるのが面白いところであり、難しいところです。
あと、着想をカードに書き留める行為も、上記のような「一覧性」を作っているのだと考えれば、この話に統合できるでしょう。まとめるためには、集める必要がある。そんな風に言えそうです。



