前回の投稿で、リンクを使えば「階層」を作る必要はないことを確認しました。
そのアプローチは、間違いなく現代的な(モダンな)情報整理の考え方なのですが、だったら「階層」という概念は情報整理で一切不要になったのかというと、そうとまでは言えないよな、という話をここ何回かで確認してみます。
最初に検討してみたいのが、「Johnny.Decimal」という情報整理手法です。
◇A system to organise your life • Johnny.Decimal
Johnny Nobleによって提案されているこの手法は、デジタル情報を整理する際に「階層」を使って分類しようという、モダンな考え方からすれば二歩も、三歩も遅れているかのようなアプローチを提示します。
私も最初「古くさい考え方だな〜」と思いながらWebページを読んでいたのですが、適当な思いつきで述べられているわけではなく、むしろ階層を使った情報整理についてとことん考え抜いた上で提案されていることが見えてきました。
手法自体はすごくシンプルです。
(注:サイトより拝借)
二つの数字のセットと、タイトルの文字列。これで「フォルダ」を作るのが基本です。
最初の数字セットが情報の分類を担当するもので、十の位がArea、一の位がCategroyを意味します。
その後にドットを一つおいて、出てくる数字セットがIDを担当します。これは連番で振られるので作成した順に01、02、03と割り当てられていきます。
その二組の数字の後に半角スペースを一つおいて、タイトルが続きます。上の画像では「ニューヨークへの旅行」がそのタイトルです。ようするにトピック名ということ。
このような命名規則でフォルダを作り、関連する情報をそのファイルにまとめていく、というのがJohnny.Decimalの基本です。
上限ありきの分類
さて、AreaとCategroyを担当している数字セットが二ケタであることに注目してください。
Areaに置ける数字は0から9までであり、Categroyに置ける数字も0から9までです。つまり、トータルで10個のエリアしか作れず、一つのエリアが持てるのも10個のカテゴリーまでです。単純に考えれば、トータル100個のカテゴリーが最大の上限で、それ以上はこの名づけシステムが崩壊してしまうのです。
大量のデジタル情報を扱っている人間からすると、そんな有限的な分類で大丈夫なのかと不信の眼差しを向けたくなるわけですが、その感覚はどこまで正当でしょうか。
個人が生活を送る中で、10個以上の「エリア」を必要とする場面はどれだけあるでしょうか。あるいは、100個以上のカテゴリーを必要とする場面は?
情報処理、知的労働に特化した人生を送っている人であれば、そのような上限ではぜんぜん足りないということはありえます。でも、ごく普通の生活・日常における情報を扱う場合でも同じことが言えるでしょうか。
たぶん、言えないと思います。
よくよく考えたら、「旅行」「財務」「家政」「趣味:ゲーム」「趣味:プラモデル」などのカテゴリを挙げていけば、だいたい10個以内でエリアは包括できるでしょう。そのうちの分類も10個あれば十分ということはかなり現実的な話です。
もう一度言いますが、高度な知的生産のためのシステムではなく、日常に発生する情報の処理のためのシステムとして考えれば、分類はそこまで膨れ上がることはありません。なぜなら、私たちの日常においてコミットしている分野は限定的であり、しかも慣例的だからです。認知的にも時間的に有限な存在である人間は、日々触っている情報をそう大きく変化させたりはしません。ごく一部のマニアックな、あるいは奇妙さを売りにしている人でない限り、必要としているカテゴリ・エリアの数は限られ、安定的なものになります。
だから、10×10の階層システムでも十分機能する、という見通しがこの「Johnny.Decimal」にはあるわけです。
自分でつくる分類
じゃあ。その10のエリア・10のカテゴリはどんな形になっているのかというと、定まった形はありません。ここが重要です。
もしこのシステムが Johnny Noble が提案した10の分類に従って情報を仕分けよと提案してくるならば考慮にすら値しないでしょう。でも、そうではありません。カテゴリもエリアも自分で見出し、自分で設定していくことが求められます。
だからこそ、10でいけるとも言えるでしょう。
もともとカテゴリというのは恣意的な仕切りでしかありません。全体として一なものに、任意で線引きする行為なのです。言い換えれば、どのように引くこともできるのが分類です。だから10個以内に収めようと思えば、収められるのです。言い換えれば大きく10個に収まるように分類を「つくれ」ばいいのです。
そうしたカテゴライズの作業が欠かせないからこそ、このシステムを使う意義が生まれてきます。つまり、「自分はどんな分野に興味があり、日常的にどんな情報を扱っているのか」という内観的な視線を持つ必要が出てくるからです。
たとえば、私自身のことで考えてみましょう。まっさきに思い浮かぶのは「本」というエリアです。その内側に、ジャンルごとの分類を作るのは面白そうです。本以外の媒体については、「他のメディア」というエリアを作って、その中に分類を立てることになるでしょう。
一方で、人によっては、「メディア」というエリアの中に「本」「映画」「音楽」という分類を立てるかもしれません。その代わり、私が作らない「スポーツ観戦」というエリアが作られることがありえます。
そうした二つのカテゴライズのどちらが「正しい」のか(正当なのか)という問いはまったく無意味です。そうではなく、使用者にとってどれだけ「適切」なのかという問いが重要なのです。
私にとって、「本」というのは大きな存在です。実際本にまつわる情報はたくさん生まれています。だから、一つのエリアを作るのに値する。一方でそこまで「本」の存在が大きくない人は、いちいちエリアを作るまでもないし、一切本を読まないならばカテゴリすら作られないこともある。
そのようにして、自分の関心事・興味の軸を意識しながら、カテゴリとエリアを組み立てていくというプロセスそのものが、Johnny.Decimalという整理手法に価値をもたらしています。
上限を定めること
ちなみに、Johnny.Decimalでは「まず10個のエリアを作れ」などとは言われません。そうではなく「最大で10個まで」という話です。
最初から10個作るのではなく、必要に応じて増やしていく感じで、それでも10個以上にはしないように整える(考える)という上限を持っておくのです。
同様に、サブフォルダを際限なく掘り下げていくことも避けたほうが良いこととして提示されています。これもまた別の意味で上限の設定でしょう。
浅い階層を維持し、最大10のエリア・10個のカテゴリまでに留めて情報を扱っていく。そうすることで、必然的に自分の関心事に注意を向けざるを得なくなる、というのは、有限性がある手法だからこそ生じる特性でしょう。
その点、ただリンクをつなげていくだけのアプローチでは、有限的な制約がないので、ただ広がっていくだけの状態になりがちです。情報は広がっていくけども、まとまりがない(まとまりを生むための軸が見つからない)のです。
実際にJohnny.Decimalの通りに情報整理をしなくても、「自分がもし10のエリアと、10のカテゴリで情報を整理するとしたら、それはどのような形になるのか」を考えてみるのは、なかなか有効なエクササイズのように思います。
少し補足的な話をしておきます。
Johnny.Decimalは、直訳すると「ジョニーの十進法」となり意味不明ですが、「Dewey Decimal Classification」を補助線にするとその意図が見えてきます。
「Dewey Decimal Classification」とは、「デューイ十進分類法」のことで、アメリカの図書館学者メルヴィル・デューイが1873年に創案した図書分類法を意味します。以下のような分類で図書館で扱う図書を分類する手法です。
000 コンピュータサイエンス、情報および総記
100 哲学および心理学
200 宗教
300 社会科学
400 言語
500 自然科学および数学
600 技術
700 芸術
800 文学および修辞学
900 歴史および地理
ご覧のようにデューイ十進分類法では3つの桁があり、それぞれ「類・綱・目」を担当しています。書籍のように膨大で細かい違いがある情報を扱うには少なくともこれくらいは必要でしょう(これでも足りていない感じはありますが)。
しかし、個人や特定の業務を行う組織での情報整理においてはそこまで細かい分類は必要ありません。それこそ最大100もスペースがあれば有用なカテゴライズは可能でしょう。
それでも、メルヴィル・デューイがこの十進分類法を作った場面を想像してみることには意味がありそうです。彼はあまたの書籍を並べ、それらを括れる(そして意味がある)グループを考えていったのでしょう。デューイ自身はすでに書かれた本をどうこうすることはできませんし、これから書かれる本をどうこうすることもできません。
常に、そこにある本をベースに──つまりボトムアップで──分類を考えていったはずです。
私たちの情報整理においても似たやり方を採用するのは有効でしょう。トップダウンで分類を作るのではなく、ボトムアップで分類を作る。
私たちは情報整理ツールで出会うと、喜び勇んで大きな構造を作ってしまうわけですが、それは純然たるトップダウン的アプローチであり、機能不全を起こすことが保証されているといっても過言ではありません。
そうではなく、小さなカテゴリからはじめ、それを少しずつ(必要に応じて)増やしていく。それも、むやみやたらに増やすのではなく、自分の関心事と相談しながら増やしていく。そういうアプローチがよさそうです。