009号でZettelkastenに必要なテーマについて考えました。
この「テーマ」という話は抜きにして語るのが難しいほど重要なものなのですが、あまり語られている印象がありません。
実際に研究活動をしている人にとってはあって当然のものなのでわざわざ言及する必要が感じられず、そうでない人にとっては無いことが見えないからでしょう。
実践している主体が置かれている環境によって、物事の見え方・語り方が違ってくるのは当然のことで、普段、自分と似たカテゴリーの人と会話しているのと違う語り口が、インターネット的な情報交流では必要なのですが、あまりその辺が深められている印象がありません。
たとえばPKMという営みはたいへん良いものだと思いますが、「それをすることで、結局何を為したいの?」と問われて答えを返せるかどうかは大きなファクターです。なぜなら、その答えによって必要な設備・装備・日常的営みが変わってくるからです。
特に技法というのは一般化できる共通因子でくくったものであり、実際の運用ではその共通因子に「掛けられている」部分が無視できません。
私たちは、xとして技法を手渡されますが、実際の運用ではyとかzといった実践者ならではの要素が関わってきます。ここを踏まえていないと、適切な運用など考えようもありません。
徐々にでも見つける
もちろん、行為をスタートした段階で明確に目的を把握している場合は少ないでしょう。なんとなくの気持ち、誰かに憧れる気持ちで始めることが多いかと思います。それ自体は自然なプロセスです。
だからこそ、最初は何をやってもあまり「しっくり」きません。それは技法やツールが問題だからでも、自分自身が劣っているからでもなく、その段階では自分が何を為したいのかが明確ではないからです。
よってその段題で「もうダメだ」とちゃぶ台をひっくり返すのは結構もったいないです。むしろ、何がしっくりきて、何がしっくりきていないのかを見きわめて、「自分は何がしたいのだろうか」と問うことをやった方がGoodです。
いきなり答えが掴めることも稀でしょう。でも、ちょっとだけわかることがあるかもしれません。「自分」という存在について理解が深まる。その理解が、次なるツール運用を助けてくれます。
そうした道行きは、たしかに経験値/知を積み重ねていると言えると思います。
まとめ
要点は以下です。
最初からはうまくいかない(時間と経験が必要)
わからなくても、わからないなりに「自分が求めていること」に注意を向けておく
デジタルツールに限った話ではないですが、情報を蓄え、思考を発展させていくプロセスは一朝一夕のプロジェクトではありません。だからこそ、性急に答えを求めず、しかしそこに手を伸ばす姿勢は維持しておきたいものです。