第三回なぜブログを書いてきたのか
そもそも、なぜ私はブログを書いてきたのだろうか。それも、5,800記事以上も。
一つには、HTML日記からの流れがあった。ブログという技術とツールの話題を耳にしたとき、これまでのあの面倒な作業から解放されるのだ、新しい扉をくぐるのだ、という期待感があった(主にその期待感はMovable Typeに支えられていた)。
たしかにそれはすごくクールだった。少なくとも、直書きHTMLのような泥臭さはなかった(あるいはソースコードを覗いたときの、あのホームページビルダー特有の汚さはなかった)。記事を書き、投稿ボタンを押せば、それだけでWebに新しい記事が、つまり自分の文章が投稿される。
現代ならTwitterで当たり前にやっていることが、そのときにはとても素晴らしいことのように思えた。いや、それは2020年になってもあいかわらず素晴らしいことなのだが、そのときはよりいっそう輝いて感じられたのだ。
言うまでもなく、そこは新しいジャーナリズムの足音と、人気を博するWeb日記(テキストサイト)へのあこがれが入り交じっていた。そういう空気がたしかにあったのだ。ブログをやるべきだ、いや、なぜブログをやらないのか。そんな勢いもあったように思う。
でも、もちろんそのときの私は、この行為を10年続けたらどうなるのかなんて、まったく想像もしていなかった。5800記事? そんなものはアウトオブ眼中である。
そんな状態でブログを更新し始めた。HTML日記のような感覚で、しかしTwitterのような手軽さで。10年先もろくに見据えることなく、ただただ書きやすく、そして読まれやすい(特にそのときはGoogleにブログが優遇されていたので)環境で。
その結果が、今のR-styleである。
過去記事はわんさかあるが、しかしメディアとしての体はなしていない。少なくとも私はそう感じている。
Twitterがそうであるように、書き手が楽であればあるほど、それが溜まったものは読み手にとって読みにくい。執筆容易性とは、書く行為における編集性の欠如であり、それはそのまま読解性の低下を呼び込む。
ブログはその記事で読み切りである。記事同士のつながりはあっても、流れはない。重複だって許容される。だからこそ、「その日の自分」の気持ちで書いてゆける。過去の、ないし未来の自分は考慮しなくていい。ある種の切断性の中に身を置くことで、ブログ記事は極めて執筆しやすくなる。
それは素晴らしいことであろう。物を書くことの難しさを思えば、ブログがそのような切断環境を準備してくれたことは大いに祝福すべき事柄である。
しかし、その促しにただ駆動されて私は(そう言ってよければ私たちは)記事を執筆してきてしまった。5,800記事の未来を見据えずに。
本当はもっと戦略的であるべきだったのだ。もちろん始めたばかりのときにそこまで計算はできない。100記事なんて、ブログを始めたとも言えない量である。でも、1,000記事を越え、2000記事に到達した辺りで、私はいよいよ舵切りを考えるべきだったのだ。このまま続けていけばどうなるのかを。
index.phpが、コンテンツのindexとして機能しなくなったら、記事への動線はほぼ「検索」頼みになってしまう。それはすなわち、自分のメディアの命脈をGoogleに握られてしまうことを意味する。Hey,Big Brother!
おぞましい結果だ。
でも、そのときは思いもつかなかった。「ブログ」という媒体以外の表現がありうることを考えもしなかった。私は必死に格闘していたのだ。WordPressの構造と。
でも、本当はもっと別のものと格闘すべきだったのかもしれない。「ブロガー」であるということを、CMSとは別のものとして再定義すべきだったのかもしれない。
でも、もう時は過ぎた。針は戻せない。せめて、私と同じような過ちを他の人が繰り返さないことを願うばかりである。
ブログは極めて有効なツールである。個人が作れるメディアである。それは2020年になっても変わらないし、その有効性は今後も継続するだろう。でも、それだけがメディアの選択肢ではない。
私たちは、何をどのように伝えるのかを真摯に考える必要がある。「ブロガーだからWordPressを使う」。思考停止も甚だしい。
HTML時代のように、もっと自由にメディア構造は描けるはずである。そして、描くべきだろう。
伝える自分と、伝えたい相手をつなぐもの。そして、その内容。
それらに合わせてパッケージはデザインされていく。考えるのをやめてはいけないのだ。