かつてさまざまなブログやサイトを見ていたとき、「やっぱり独自ドメインを持つのは大切だな」と感じたことを覚えている。ドメインを持てば自分の庭が作れるような気がするし、なによりもちょっとカッコイイ。
というわけで、Doblogというブログサービスが消失した後は、レンタルサーバーを借り最初はMovable Typeを使っていたが、その後はWordPressに移った。なんとなくWordPressの方がノッている感じがしていたのだろう。
WordPressは、人気のCMSだけであってブログの開設が非常に簡単だし、テーマも多数公開されている。便利なプラグインだって検索すればわんさか見つかる。とても素晴らしい環境だ。
そういう思いに疑問が生じたのは、とある記事でWordPressの開設をプロに頼んだ、という一文を見かけてからである。設定やらなんやらを他人にやってもらうことは珍しくないのだが、「プロ」というからにはそれなりの料金が発生するのだろう。1000円や2000円ではきかないはずである。
それって何か変じゃないだろうか。
HTML直書き時代は、たしかに知識を学ぶ必要はあったものの、改行にはBRタグが必要だとか、文字を大きくするにはBタグを使うとか、文字組みをいじりたいならTableを使うとか、そういったHTML初歩レベルの知識だけであった。それさえ学べば、自分でページが作れた。難しいことは何もない。単に学ぶ意欲さえあれば、習得できるものだ。
だからこそ、お金のない若者でもインターネットに飛び込むことができた。それは、一つの解放の印だったと言っても過言ではないだろう。
しかし、ブログを始めるのにプロに依頼することが必要なくらいにややこしくなっているのだとしたら。それはもう解放の印というよりは、有閑な人々の戯れに近づいてしまう。やっぱりそれは変だろう。
実際、長くWordPressを使っているとメンテナンスがたくさん必要になってくる。PHPのバージョンがどうだとか、使っているプラグインのセキュリティーがどうだとか、記事の更新にまったく関係ないアラートにいつも注意を払うことになる。これが、「素晴らしきインターネット世界」なのだろうか。
もっと言えば、WordPressのテーマは、個人の表現を広げたのではなく、むしろ狭めてしまった印象がある。一つには、前回書いたブログのメディア特性が関係している。最新記事に近いほど有用であるという特性を持つので、ブログのUIもそれに基づいたものになり、結果的にどのブログも似通ってくる。
さらにSEOに有利だというテーマが出てくれば、猫も杓子もみみずもミミズクも同じテーマを使い出す。もうブログの外見を見ただけでは誰のブログかはまったく区別がつかない(中身を見ても区別がつかないことが多いが、だからそうしたブログでは冒頭で名乗りを上げているのだろう)。
これが「表現」なのだろうか。団地的マンションの販売ではないのだろうか。だったらもう、Wikipediaに情報を集約した方が、情報伝達効率が上がるのではないか。えっ、それでは広告料で稼げない? それは失敬。
というわけで、WordPressはブログを広めることに貢献したものの、「自分のメディア」という考え方を広めることに貢献したのかはわからない。むろん、Googleが元凶であることは間違いないが、だからといってCMSが何の影響も与えていないとは考えにくいだろう。
さらにやっかいなのがモバイルである。これがさらに個性を剥奪していくのだが、それはまた次回。