type: person の不思議
「え〜、昔からメタ情報はデジタルノートの花と申しまして」と落語風に始めてみようかと思ったのですが、二行目から続かなかったので、普通の文体でいきましょう。
デジタルノートにはさまざまな情報を書き込んでいけます。非常に懐が広い。
たとえば、哲学の勉強をしていたとして、デカルトについてのノートを作ったとします。
ここで、ふと考えます。このノートのtypeって何かな。
まあ、デカルトは人間なのですから、personでしょうか。
誤謬はなさそうです。
で、まったく同じデジタルノートに、住所や連絡先を保存するつもりで以下のようなノートを作ったとします。
実在する人物のノートなのですから、これもpersonでしょう。
でも、なんだか違和感が残ります。だったら、このノートはどうか。
これもまあ、人物ではあります。だったらこれもperson?
もちろん、すべてにpersonをつけても、意味論的な破綻はありません。言い換えれば「間違え」ではありえません。
でも、どうにも釈然としない気持ちが残ります。その違和感はいったい何なのでしょうか。
引き出すときの文脈
ごく単純に言ってしまえば、そこで生じている違和感はこれらのノートが「混ざって欲しくない」という気持ちです。
具体的には、type: personで検索したときに、上記のノート群がズラズラと並んで欲しくない。つまり、デカルト的なノートを探そうとしているときに、Tak. or 倉下忠憲的なノートが候補として挙がって欲しくないし、その逆もまた然り、ということです。
別の言い方をすれば、これら三種のノートに、type: person をつけたとして、それをベースに情報を引き出す状態がイメージできません。「なんでもいいから、人についての情報を探したい!」みたいなことってあります?
むしろ、哲学に関する勉強ノートにおいて、さまざまな知識がある中で、「人物について書かれたものだけ抜粋したい」といった用途が一般的でしょう。同様に備忘録的情報の中で、特定の人のノートを探したい、というときに「人物」で絞り込めば探しやすい、というのもイメージしやすいです。
どちらにせよ、何か上位の限定があり、さらにその中で「人物」を絞り込む、という使い方です。その上位の限定を無視して、「person」というメタ情報を付与しても、ただついているだけで有効に使われることはないでしょう。
用途の探索
あらためて検討してみると、「デカルト」という人物について書かれたノートは、勉強・研究用のノートです。言い換えれば、知識としての「デカルト」にアクセスしている。彼と私の「関係」はまったく関係ありません。独立した知識オブジェクトという感じです。
デカルトにメールすることもなければ、献本を送ることもありません。ただ、彼についての情報を知識として整理しているだけ。
一方で、Tak.さんについてのノートは違います。私が現実的に何かを行うために必要な情報を記録しています。勉強・研究用のノートではない。私(倉下忠憲)のノートもそうです。単に何度も使うことになるプロフィール情報をコピペしやすいように保存しているだけです。
関連ノート的に言えば、Tak.さんについてのノートはプロジェクトノートなどに関連ノートとして表示されることがあるでしょう。しかし、私(倉下忠憲)のノートは、そもそもすべてが「私の関連」のノートなので、関連表示する意味はありません。
どれもこれも、用途と機能が違っています。
同名異質
もう少し踏み込んで考えてみましょう。
たとえば、私が「知的生産の技術wiki」というデジタル情報を整備していたとして、元祖ライフハッカーとしてデカルトのページを作ったとします。最初に例示したような内容のページがつくられるでしょう。
では、同じwikiにTak.さんのページをつくるときはどうなるか。もちろん、連絡先などの情報ではなく、著者プロフィールを転記することになるでしょう。
つまり、同じタイトルを持ったページでも、私のノートと、外部的なwikiでは必要とされる記述が違ってきます。もちろんそうですよね。用途が違うわけですから。
実際、ローカルで管理している私のノートツールには、Tak.さんの著者プロフィールは記述されていません。一方で、Cosenseなどでページを作れば、そうした情報を記述するのは自然に感じられます。
まずこの点で、「自分用のノート(innerNotebook)」と「外部用のノート(outerNotebook)」は、単純な写像関係はつくれないのではないか、という疑問が立ち上がります。特にそれぞれの用途において最適化された記述がなされているならば、かなり難しいでしょう。
言い換えれば、外部用のノートとシームレスに連携することを意識して作られる自分用のノートは使い勝手が悪くなってしまうかもしれません。自分用として必要な情報がうまく書き込めない可能性が出てきます。
この点は、シームレスに連携できてしまうデジタルノートならではの問題でしょう。
極端な地点から
もちろん、ふつうにデジタルノートを使っているときは、上記のような面倒なことはわざわざ考えないでしょう。今回は、二つの役割が重なってしまうという例外的な状況を取り上げて、思考を展開したものです。ある意味、極端なことを言っている。
しかし、そうした極端な状況から思考を立ち上げることで見えてくるものがあります。
もし、自分のローカルのデジタルノートをそのままWebに公開していて、「なんか書きにくいな」と感じているならば、いったんそのつながりを切断してみることをオススメします。
「自分用のノート」と「外部用のノート」を分けて考えてみる。その上で、流用できそうなものだけを部分的につなげてみる。
内と外って役割が違うのです。その境界線をはっきり設けた上で、しかしたまに越境させる。それくらいでいいのかもしれません。





