行為の多重化、ノートのtype、思考の触媒 | メンバー限定記事
前回は、入力操作をしていたらそれに反応して表示が増える(あるいは変化する)ことの効能を確認しました。
この話を敷延し、さらに「デジタルノート」について考えを拡げます。
手書きノートから考える
手帳でも日記帳でも普通の綴じノートでもなんでも構いません。そうしたものを日常的に使っている人は「書くと読むの多重化」が起きていることを経験されているでしょう。
新しいページに書き込もうとしたら前回書いたものが目に入って読む
適当にぱらぱらと読んでいたら、関連した新しいことを書きたくなった
「書く」だけでも「読む」だけでもなく、片方がトリガーとなってもう片方の行為が生まれています。私は”インプット/アウトプット”という図式があまり好きではないのですが、こういう行為の二重性が隠れてしまうからでしょう(モデルとして不適切だとは思っていません)。
私たちが要素還元的に情報システムを構築するとき、「書く」ためのモードと「読む」ためのモードを別に考えがちです。すると、その移動のためのコンテキストスイッチが必要となり、全体からスムーズさが失われてしまう、といったことが起きがちです。
私が(Obsidian Publishではなく)Cosenseを気に入っている点も、それが少し関係しています。Webブラウザで自分のページを見ているときに、修正や追記をしたくなったら、そのままそこで書けばいいのです。つまり、読むと書くがモードレスになっている。
同様に、私がペンを持って読書中に本に直接書き込みをするのも、そうしたモードレスが関わっているのかもしれません。
ともあれ、この「モード」と「行為の意味の多重化」は全体的な行為・システム・環境設計において重要な意味を持ってきます。すべてがモードレスになればいいというわけではありませんが、モードレスであることが求められる場面もきっとあるはずです。
typeを見立てる
さて、ここまででいろいろな「違い」について見てきました。たとえば、ノートの種類によって「関連するノート」として表示されたら嬉しいものが違っています。
保存された情報には性質があり、その性質が扱い方を要請する。
この見立てを「type/タイプ」と名づけておきましょう。ノートにはtypeがある、というとき、それはその性質によって異なる扱い方が求められることを意味します。
そうなると、「読むと書くが多重化する」扱いを求めるtypeがある、という風に話を展開できます。
それはどのようなtypeなのかと言えば「着想」です。テーゼ風に言えば、着想は書くだけでも読むだけでも足りない。その両方が必要なのです。
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