デジタルノートを使っていく上で、「リンク」機能が役立つのはもはや言うまでもありません(本当はしつこく言ったほうがいいのかもしれませんが)。
情報同士の直接的な関係を提示できる
階層構造とは別の構造を生み出せる(ツリーからリゾームへ)
情報内で情報のまとめができる
詳細は割愛しますが、いろいろメリットがあるわけです。
で、そのリンクのつくり方において参考になるのが「目次」と「索引」の二つです。どちらも紙の本を思い浮かべるとよいでしょう。
目次は表紙の近くに配置されているもので、多くは階層構造になっています。第一章○○とか第二章○○とか、そういう感じですね。索引はだいたい本の最後近くにおいてあって、キーワードごとにそのキーワードが登場しているページ数が記載されています。
どちらも本の内容に関する情報で、多少似通ったところもありながら、違った性質を持っているのがポイントです。
目次
本に配置される目次は、いわばその本の「アウトライン(輪郭線)」を提示するものであり、先ほども述べたように論理構造によって階層が作られます。
また、その目次は「順番通り」であり「網羅的」なものです。つまり、目次の並びは本の内容に並びに対応していて、抜けなくすべての内容がピックアップされてるものです。
その性質があるので、本の目次を見れば、その本の全体像が捉まえやすくなります。本そのものを現実の地理だとするならば、本の目次はその地図です。縮尺や簡略化などに違いはあるにせよ、概ねその「かたち」を模倣したもの。
こういうのが「目次」と言われるわけです。英語だと「Table of contents」。
索引
そのような目次と対比してみると、索引の性質も浮かび上がってきます。
索引はその本に登場するキーワード(固有名詞や用語)が並んでいるのですが、そのキーワードの並びそのものは本の内容順ではありません。たいていはキーワードのアルファベット順です。実用書であれば目的別索引などもありえます。なんにせよ、コンテンツの流れとは別の流れがそこにあるわけです。
さらに、それらのキーワードは網羅的というわけではありません。当たり前ですが、その本に登場する固有名詞のすべてが列挙されているわけではないのです。そんなことはページ数的に不可能ですし、仮に実施したとしても項目が多すぎてろくな使い勝手にはならないでしょう。
索引を作った人(著者であれ、編集者であれ、読み終えた読者であれ)が「これは重要だぞ」というキーワードが選ばれているからこそ、役立つ索引になります。
それに複数のページでそのキーワードが登場している場合、特に重要なページを太字で示すこともできますし、たまたまその言葉が使われているけども何の言及もない場合はスルーすることもできます。
なんにせよ網羅的ではないわけです。
二つの違い
さて、どちらも本の内容に関する情報ではあるのですが、使われ方に違うことは容易に推測できます。
目次の場合は、本の全体像をつかむことで、読むための指針にすることもできますし、逆に全体像を掴んで終わりにするという、読まないで済ますために使うこともできます。
では索引はというと、基本的には「その箇所を読む(参照する)」ために使います。たとえば「よし索引に村上春樹の項目が3箇所あるな。これは読まないでおこう」とはならないでしょう。そうではなく、それぞれの箇所にアクセスするためにこそ索引は役立ちます。
目次は情報を(というよりも本の内容を)俯瞰的に捉えるのに役立つのに対し、索引はピンポイントでその情報に、もっと言えば「重要な」情報にアクセスするために役立つのです。
(もちろん索引を眺めることで、特定のキーワードに関する記述がどのくらい多いのか、どんなキーワードが使われているのかという、コンテンツの様相を俯瞰できる効果も間違いなくあります)
デジタルツールにおける目次と索引
さて、本から離れてデジタルツールに戻ってみましょう。
デジタルツールで「目次」(的なもの)を作る場合、順番と網羅性を意識する必要があります。難しいのは「網羅性」です。なぜなら飛んでもない数の情報が保存されるからです。すべてを網羅するのは難しい。
実際本の目次だって章以下のすべての節や項目を拾っているわけではありませんので、デジタルツールでも「最上位項目」だけを拾っておけば、ある程度役割はこなせるでしょう。
たとえばそれはEvernoteで言えばノートブック(or スタック)であり、Obsidianで言えばvaultの中にあるフォルダです。すべての情報は、必ずこの中に入っているのですから、網羅的と呼んで差し支えないでしょう。
逆に言うと、これはデジタルツールの機能そのものに依託した方が手っ取り早いことが多いです。
だとしたら、リンク機能を使って自作するならば索引を意識したほうがいいかもしれません。自分の手で重要なキーワードを選び出し、それを本の流れとは別の流れで整えること。そこでは網羅性よりも「重要な情報にアクセスできるようにする」ことが主眼となります。
まざってしまう
以上のような点を確認したのは、私が「重要な情報にアクセスできるようにする」ことを目的として、デジタルノートの「目次」をつくることをこれまで懸命にやってきたからです。
ここまでの話からわかるのは上記のような「願い」は基本的にねじれていてうまくいかない、ということです。目次を作れば情報量が増え、必然的に重要な情報が他の情報に紛れてしまうことになります。
だからといって重要な情報しか載っていないものは、目次としては力弱い(物足りない)ものに感じられます。
これは求めているものが基本的に違っているのに、それを区別せずに「一つの方法」で解決しようとしていたのが問題だったのでしょう。
本に目次と索引があるように、デジタルノートでもその二つは別にあっていいのです(なんなら目次はなくても構いません。Cosenseはそうなっています)。
そういう区別を導入しておきたいところです。