Obsidianのタグ機能ってよく出来ています。
Evernoteだと「タグ欄」に移動しないとタグの設定ができないのに対して、Obsidianではノートの本文に直接タグを書き込むことができます。ノートを「書く」という動作のなかでタグの設定ができるのはGoodですね。
ところが、私はObsidianのタグをぜんぜん使っていません。正確には「最近は」ぜんぜん使っていません。
#を入力すればサジェストが出てくるので過去のノートに設定したことはわかるのですが、現在の情報運用においてはほとんど何の役割も担っていないのが実情です。
実際タグについては、実用上の問題も指摘されています。
長く使っているとタグの数が増えてきて重要なタグがなかなか見つけられなくなってしまうよね、ということでこの記事の筆者はTag Indexというプラグインを作って問題に対処しているようです。このように問題の解決をDIYできるのがObsidianの素晴らしいところなのですが、言い換えればこうしたプラグインのサポートがないかぎり、タグってうまく使えないよ、ということでもあります。
で、その問題にはいろいろな観点で検討できるのが(表記揺れの問題や、数が増えたときのサジェスト機能不全など)、一番大きいのがそのタグが何なのかがわからなくなることだと私は考えています。
私が雑に使っていたタグの履歴をみてもそれははっきりします。
「book」と「books」の表記揺れも気になりますが、それ以上にこのbookというタグが何なのかが不明です。
自分が一年間に買った本のリストにつける? 書誌情報をまとめたノート? 書籍の企画案?
それらすべての意味を持ちうるのがタグです。言い換えれば、これだけでは意味が拡散して、使うときの自分がうまくそれを扱えなくなるのです。
なので私は、これまでタグ的に付与していたものはすべてフロントマターで与えるようにしています。
たとえば、上は「このページのタイプは”freewriting”」であることが自明です。本文の中に、#freewriting と書き込んでも検索上はほとんど同じことができますが、人間の目からみたときに、この「freewriting」の役割がわかりやすいのはフロントマターの指定でしょう。
こちらも同じです。本文に、 #draft #R-style と書いてもいいですが、そうするよりもそれぞれが「何を示しているのか」を明示したほうがわかりやすくなります。
つまり、通常のタグでは、そのタグのメタ情報が欠落してるのです。
タグとはノートにメタ情報を与えるものですが、そのメタ情報のメタ情報が欠落しているので、時間が経った後に、「はて、これは何のためにつけていたのだっけ?」ということになりがちなのです。
だからといって別にタグがいらないという話ではありません。雑多に本文に書き込み、それを検索で引っぱり上げられる点は有効です。ただ、そのまま使っているだけだとタグの「意味」が散逸してしまうので、何かしらの規則によって拡散を防いでおいた方が実用的だろう、という点は検討しておきたいところです。