FOMOを抑える拠点と探索
「自分の方法」をつくることの難しさ
2025年、最後の配信となります。今年一年もありがとうございました。
来年以降も、何かしらをテーマにしたニュースレターを配信していきますので(最近はデジタルノートです)、よろしくお願いいたします。よければ、サブスクリプションも是非。
というわけで、今回はちょっとしたお話を。
焦りによる情報収集
FOMOという言葉があります。Fear Of Missing Outの略で、「自分が居ない間に他人が有益な体験をしているかもしれない」「自分が知らない間に何か楽しいことがあったのではないか」「大きなニュースを見逃しているのではないか」といった落ち着かない状態を指す言葉で、 「見逃しの恐怖」とも言われます。そういう状態にあるときは、やっぱりストレスも高いことになります。
で、デジタルツールまわりの話題を追いかけていると、それと似た状態になっているなと感じるときがあります。
ついつい気になって他の人のやり方を調べてしまう。自分の使い方が間違っているんじゃないかと思ってしまう。もっと上手いやり方があるんじゃないかと考えてしまう。
自分がやっている方法に固執しないのは大切なことですし、他の人のやり方に興味を持つのも、知的好奇心の発露しては真っ当なものでしょう。
しかし度が過ぎると、いつも落ち着かない感じになってしまう。不安や焦りに嘖まれてしまう。それはやっぱり不健全でしょう。
自分が楽しみで情報を追いかけているのか、焦りや不安を解消するために情報を追いかけざるを得なくなっているのかを見分けるのは難しいかもしれませんが、そこに注意を向ける価値はあるように思います。
不安による複雑さ
最近私は、「シンプルな使い方」をよく述べていますが、もちろん複雑な使い方をしあっていいわけです。別に規範を提示しようというのではありません。凝り性の人や複雑さを必要とする人にとっての適切な使い方があるはずです。
一方で、焦りの解消を目的として、やたらめったら「使い方」を増やしてしまうことによって生じる複雑な使い方は、あまりよくないと感じます。「使い方」が問題なのではありません。そういう状態になっている心理状況が問題なのです。
また別稿で検討しますが、ノウハウを何かしらの形で販売している人は、不安を煽る→その「穴」にはまるノウハウを提示するという「ドリルを売るには穴を売れアプローチ」を多く取ることが多く、日常的な情報摂取においてそうした情報の割合が増えてくると、不必要なレベルで不安が高まってしまうことが起こりそうです。
あるいは、ぜんぜん関係ないところで高まっている不安が関係しているのかもしれません。
なんにせよ、不安を抑えるものを持っておくとよさそうです。
探索のイメージ
イメージは、探索です。探索するとき、単にうろうろするだけだけではないでしょう。たいていは「拠点」をつくり、それをベースにして周辺を探索するはずです。
その拠点が、自分にとっての最低限の使い方・用途です。とりあえず、そこはゆるがないように押さえておく。他の人が何をやっていようが、他の人に比べていかにも貧相で物足りないように思えても、それでOKとしておく。
そうした足場を確立した上で、面白そうな使い方を見つけたら試しにやってみる。「外」に出てみる。
そういうイメージを持っておくわけです。割合としては、拠点:8、探索:2くらいがいいかもしれません(探索があまりに多くなってしまうと、不安定さが増しそうな気がします)。
自分なりの方法に向けて
そうなると、「自分にとっての最低限の使い方・用途」を見出すことが大切になるわけですが、案外簡単ではありません。特に日本社会の教育に親しんでいると「上から与えられる”正しい”やり方」に沿うことが最適解になることが多く、「自分は何を、どうやりたいのか」を思索する経験を持っていない場合があります。
そもそも「自分なりのやり方」を考える上で他人の方法をまったく無視するわけにはいきません。思考は差異から立ち上がるので、まず他人の情報に触れないとはじまらないのです。アプリオリに「自分の方法」が存在してるわけではありません。
だから一気に、無難に、そつなく「自分の方法」が立ち上がることはないのでしょう。どうしても悪戦苦闘は生まれてしまう。他人のやり方に引きずられたり、ときどき無益なことを追求してしまったりする。
そういう状態を避けがたいものとして引き受けた上で、それでも「じゃあ、自分がやりたいことって何だろうか」と考えることを留めない姿勢が大切なのかもしれません。

