自分が書いたものとの邂逅
Encounter your ideas.
ノートの役割はいろいろあるわけですが、その中の一つに「自分が書いたものとの邂逅」があると思います。
「そうそう、たしかこんなことを考えていた」とか「えっ、こんなこと考えていたっけ」みたいな心の動きを生じさせること。
ポイントは「邂逅」という言葉の語感です。単に「会う」というのではなく、「思いがけなく出会う」というフィーリングがこの言葉にはあります。そこには多少なりとも驚きが付随している。
私が想像するに、その「驚き」において脳の回路の組み換えや強化が生じています。だから、知的生活を営む上では積極的に目指したいところです。
驚きなき情報利用
逆にそうした「驚き」が生じないノートの利用とは、ピンポイントで検索して、それを利用することでしょう。はじめからそこにあることがわかっているものを取り出して使うなら、驚く余地はまったくありません。
たとえるなら、「ケチャップを買いにスーパーに行く」といったことです。スーパーの場所も知っている、ケチャップが置いてある棚もわかっている。すべてが予定調和に進んでいきます。ひどく効率的で、まったく静寂の世界。
たいして、驚きがあるのは「この辺をちょっと散策してみよう」という散歩でしょう。そこに何があるのか、何と出会うのかが完全にはわからない(日本を散歩していて、ホッキョクグマと遭遇する可能性は低い、みたいな想定はできますが)。そういう散策において、思いがけない出会いがあり、驚きが生まれる。
もちろん、スーパーにケチャップを買いに行く場合でも、すぐさま目的の棚に向かい、ケチャップを取って即座にレジに向かう、という買い物スタイルをとらずに、そのまま店内をブラブラすれば、驚きに出会える可能性はあります。「おっ、売り場のレイアウト変わっている」とか「新商品のパッケージ変わっているな」、などと。
ようは、効率的な処理を至上とし、ノイズをカットして、最短距離まっしぐら、というアプローチをすると驚きが減る、ということです。この世界そのものが予定調和になってしまう。ひどく退屈ですね。少なくとも、脳の回路の組み換えは起きないような気がします。
ノートを散策できるか
たくさんの情報をデジタルノートに保存し、それを検索でピンポイントに見つけ出せるのはとても便利ですが、たとえばそれは「先月の経費レシートで未処理のものを見つけたい」という実務的な用途においてでしょう。
「自分が考えたこと」といったものは、そうした用途+αがあって、その付加部分を支えるのが「ノートの散策」だと思います。
スーパーをブラブラするように、あるいは書店の棚を巡るように、自分のノートツールを探索すること。
知的生産の技術の文脈で言えば、これは「カードをくる」に相当します。梅棹忠夫は『知的生産の技術』において何度も「カードをくる」重要性を説きました。たくさんのカードを静的に分類し、それで満足するのではなく、何度も取り出し、読み返し、並び替えることで新しい思考の展開に寄与せよ、と。
アプローチそのものは大きく違いますが、『思考の整理学』で有名な外山滋比古の「メタ・ノート」も似たような内容が含まれています。
彼はまず、思いついたことを一冊の帳面にすべて書いていき、それを一定期間「寝かせた」後で読み返し、まだ脈があるものを別のノートに書き写す、という手法を紹介しています。そのノートも同じく寝かせて、また別のノートへ(これをメタ・ノートと呼んでいます)、という段階的なアプローチが取られるのですが、ポイントは「寝かせて後、読み返す」です。
その所作においては、「目的の情報を探す」という検索的アプローチは行われていません。そうではなく、自分のノートを雑多に読み返しているわけです。ノートを散策している。そこで、まだ面白いと感じられるアイデアと邂逅し、それを次のステップへとつなげていく。
カードを使うのかノートを使うのかという違いはありつつも、どちらも「ピンポイントで見つけ出して利用する」というのは違った情報の運用が行われているわけです。
いかに実現するか
では、デジタルノートにおいていかにそれを実現すればいいのでしょうか。
たとえば、Cosenseというツールでは、標準でランダムボタンがついています。
これを押すと自分が作ったすべてのノートからランダムに選ばれたノートにジャンプします。非目的的な移動ですね。
あるいは、2 hop link という概念も面白く、あるリンクを持つページが、同じリンクを持つ別ページとつながる機能です。
たとえば、以下のページには、「分類」というリンクがありますが、
それがついているおかげで、以下のページ群が関連ページとして表示されます。
「分類は、ゆるやかなほうがいい」というページを記述しているときには、これらのページはいっさい念頭に上がっていませんでした。これらのページを「探す」ためにリンクを加えたのではないのです。しかし、それが目に入り、思い出される。
邂逅が生じています。
梅棹と外山がそれぞれ違った形で邂逅をデザインしていたように、そのための手法が限定されているわけではありません。ようは、「ピンポイントで目的のものを見つけて終わり」みたいな形以外で、自分が書いたこと・考えたことと出会えればそれでよいわけです。
もしWorkFlowyにいろいろ書いているなら、具体的な何かを探すのではなく、単に気になるキーワードで検索してみてもいいでしょう。
私なんかは長年ブログを運営しているので、たまに自分で書いた記事を自分で読み返して「ほほぅ」などと悦に入っています。
きっといろいろなアプローチがあるでしょう。自分にフィットするやり方を採用されるのがよいかと思います。
なんであれ、「未処理の案件を、高速に片付けて、もっともっと早く前に進む!」というアプローチだけでなく、雑多に過去を散策し、そこから新たなものを考えるという「戻る+進む」というジグザグのアプローチをいくらかは保持しておくのがよいのではないかと思います。






