用途による限定
ノートと楽しく付き合うために
前回の話にからめて「用途」についてもう少し考えてみます。
URLノートの三種類の用途
Evernoteを使っていたときは、見かけたページは何でもWebクリップしていました。なにせボタン一つでクリップできますし、ページの情報がそのまま残るので便利です。
Evernoteはメールからでもノートを作成できるので、調子に乗ってRSSにIFTTTをかませて、配信された記事を自動的に保存する、みたいなこともやっていたくらいです。
結果、私のEvernoteは検索ノイズだらけになってしまいました。今考えれば当たり前ですよね。自分自身で自分のインボックスにスパムメールを送っているようなものです。
よく考えずに保存することは、自身へのスパムである。
こういうテーゼを立ててみると、必要なのは保存しないことではなく、「よく考えて」保存することだ、とわかります。
じゃあ、自分は実際にどういう風にWeb情報を使っているのかを振り返ってみると、だいたい三種類であることがわかりました。
ブックマーク代わり
切り抜き
ページ保存
Webブラウザにもブックマーク機能はありますが、そこには本当によく使うものだけを置いておきたくて、「めっちゃたまに使う」くらいのものは除外したい気分があります。そういうときに、自分のノートにURLを置いておくと便利です。逆に言うと、そういう情報はURLだけあればいいのです。必要なことはそのページ上で行うわけですから。
次に、ちょっとした書き留めです。たとえばページで紹介されていた名言などをメモしておきたい。そうしたときに欲しいのは名言そのものです。言い換えれば名言さえ保存されたら後は不要です。ただ、どこのページから持ってきたのかを確認できる意味でメタ情報的にURLも保存しておいた方がよいでしょう。
最後は、「ああ、この記事は素敵だ。ぜひ残しておきたい」というもの。記事として、つまり全体として保存しておきたい。おそらくはもう一度読み返すために。こういうときはWebクリップとしてページ全体を残しておきたいです。ここでも主役はテキストの方で、URLはメタ情報となるでしょう。ただし、そのメタ情報を使って記事を探すことがあるかもしれません(「たしかR-styleに書いてあった、あの記事」)。その意味で、検索対象にできるメタ情報だとなおよしです。
用途ごとの適切さ
ここで考えたいのは、ページの全体を保存する処理は1~3のすべての用途に対応はしているということです。つまり、全文クリップしておけば、1のための情報も、2のための情報も含まれているわけです。だったら、それでいいかと言えばおそらくは違うでしょう。たすきの用途で帯を使っている感じになってしまいます。
デジタルノートの場合、データ量の多さは特に問題になりません。URLだけのメモとページ全体のクリップはデータ量的に数倍上の違いがありますが、最近のパソコンでその違いが問題になることはないでしょう。
だからといって、情報量の多さは問題にならないわけではありません。データ量と情報量は違うわけです(後者は人間が認知的に処理しようとするときの対象を含意しています)。
たとえば、2000文字ある記事に出てくる名言が含まれた全文クリップのノートを開いて、目的の名言を探すのは明らかに面倒なわけですし、不要な部分のテキストが全体の検索対象にもなっています。要らないことだらけです。
さらに言えば、メタ情報の重みづけも変わってきます。名言を書き留めたノートなら、タイトルはその名言にすればいいでしょう。しかしWebクリップであれば記事のタイトルがノートのタイトルになります。その他、さまざまなメタ情報が用途に合っていないことが想像されます。
そういうノートが増えていけば、そりゃそのツールは使いづらくなるでしょう。
用途について考えること
以下の記事で有用なアドバイスが為されていました。
Principle: Define the scope of your document. What does it need to do? What are you choosing not to have the document do?
そのドキュメントのスコープを設定せよ、と。それは、何をする必要があるのかを決めると共に、何をしないのかを決めることだ、と。
私がnoteで書いた記事もそれに近いコンセプトです。
「軸を立てる」という言い方をしましたが、ある用途で使うことを決めると同時に、それ以外の用途については(基本的に)使わないという線引きをすること。用途の有限化。
そうした限定をしておけば、FOMOのようなものも抑えやすいのではないでしょうか。それは個々のノートレベルでも言えれば、ノートツールレベルでも言えます。
「大は小を兼ねる」という考え方だと、「最大の大」を得られれば万事解決という風になって、際限なき追求が始まります。他の人の使い方を見るたびに、「拡張」したくなってきます。それはやっぱり苦しいですし、ノートツールも「要塞化」(あるいは超弩級化)しがちです。
逆に言うと、そういう拡張をやっていても苦しさがなく、楽しさで満ちあふれているならば別に構いません。そのままガンガン進むのがよいと思います。私が懸念しているのは「ノートは自分を助けるためのツールなのに、それで苦しくなるのはちゃうんとちゃう?」ということです。ほんとうに、その一点だけ。
そうやって苦しくなってノートツールをぜんぜん使わなくなるのはもったいないと思います(余計なおせっかいですが)。
自分の生活に役立つ程度で使えればいい。これも一種の有限化ですが、そういうプラグマティックな姿勢を私が大切にするのは、道具と有効な関係を維持するためでもあります。

