鹿の声と地下の空間 - 結城浩のサブスタックへの返信メールの中身
メール拝読しました。
これはあくまで想像ですけれど、そのような文章を書く方法の一つは、自分の中に題材を深く沈めて引き上げる。そんなふうにして書くことじゃないでしょうか。最初からわかりやすい筋書きを作ってから書くのではなくて、自分という存在全体を使って書く。そんな仮説を持っています。
このメール自体が不思議な面白さを持っていましたが、特に上の部分が心に残りました。基本的に結城先生の仮説に賛成です。
僕自身も、今「最初からわかりやすい筋書きを作って書く」という方法以外での書き方を模索しています。解説書を書くときは、どうしても(読者の理解の)通りの良い話を書きたい思いが強く、筋書き指向で書いてしまうのですが、最近そうした執筆に「狭い土俵で戦っている」感覚を覚え始めました。
そこで、いろいろな執筆法を試みているところです。とは言え「自分という存在全体を使って書く」というのは、言うは易いの代表例のようなもので、ちょっとしたコツで解決できるものではないさそうです(そりゃそうです)。
個人的には、あたかも物語を書くように何かしらの紹介や解説を書いていけたらいいなと感じています。そうすれば、自分の執筆の楽しみも増え、また面白い本ができるのではないか。それが僕なりの仮説です。
倉下