最近、Webに古くて新しい風が吹いているのを感じる。
一つにはこのSubstack。メールマガジンなんていったいいつから始まったのかわからないくらいには昔のメディアである。でも、それを使い始めている人が私を含めて結構いる。
また、最近Obsidian(.md)が知的生産クラスタで人気で、テキストファイルの良さが再発見されている。なんだかんだいってgrep検索は便利だし、それ以上にツールを越境できるのが偉い。なんというか、「パソコン」を使っている感じがすごくする。
もう一つ、WordPressからHugoへのシフトもある。私も移行ではなくてHugoで新ミニサイトを作っているが、それに慣れるほどにWordPressでの更新が面倒に感じられる。もう全ブログを移行しちゃってもいいかな、とすら感じている。
最後に、まだ少しばかり先だが、IFTTTの有料化(サブスクリプション化)がある。最終的な料金がどこに落ち着くのかはわからないが、月額$10だとしたら諦める人は結構出てくるだろう。
で、可能な限りレンタルサーバー+CGIや、Google Apps Scriptで代替させる動きが強まるかもしれない。難しいコードが理解できなくても、多少の知識+コピペでなんとかなってしまうのが現代だ。そこでその「多少の知識」が意欲的に学ばれることも十分あり得るだろう。
私が見たところ、以上の事例は、基本的に同じ方向を向いている。それはある種の回帰である。昔、パソコンを使っていた人々がちまちまとやっていたことを、再びその手に取り返す行為だ。しかも、単に古き良きを懐かしむだけではなく、新しい技術と共に帰ってくる回帰なのだ。
ようはこういうことである。まったくの素人でもWeb的な表現が実現できるツールが生まれ、それが普及し、発展した。結果として、そのようなツールはあまにも肥大化してしまった。高機能になり、複雑化した。たしかにそれで達成できることは多いが、多くのWebユーザーはそこまでの機能は求めていないし、機能を得るかわりに支払うコストがあまりにも高く感じられるようになった。だから、別のツールへと移り始めている。
もう一つの流れが、プラットフォーム/アプリからの離脱である。これは少々状況が入り組んでいる。
そもそもとして、プラットフォームなりアプリなりを提供しているのは営利企業である。当然、利益を上げることが求められる。
10年ほど前は「フリーミアム」の名のもとに、大半のユーザーが無料で使えて、ごく一部のユーザーがプレミアムな料金を支払うことで、サービスのエコシステムが成立するかのように言われていたが、その通りにはならなかった。特に、それを前提として規模を拡大していった企業は苦戦を強いられ、最終的には無料機能の削減という結末に至った。それはもう、どうしようもない事態である。
結局、無料を売りにしてマーケティングしても、そこに集まるのは「無料でしか使わない」ユーザーなのである。その人たちは、どれだけツールを使っても、お金を支払うつもりはまったくない。少しでも料金が発生するようなら、──たいていの場合文句を言って──立ち去るような人たちなのである。
そのようなユーザーであっても、サーバーに領域は確保しなければならないし、バックアップは取らなければならないし、問題が起これば対処しなければならない。いくら増えても真の顧客にはならないそうした人たちが集まれば集まるほど、企業の負担は大きくなる。
だから最近のサービスは、はなから有料利用が前提になっている。それはサービスを健全に維持していくためには必要な処置であろう(その点、Scrapboxは頑張っている)。
ただし、広告収入を期待しているようなところは人を集めれば集めるほど価値が生まれてくる。そうしたツールは、かなりの期間無料でも使えるだろう。しかし、積極的にそういうツールに情報を落とし込んでいきたいかと言えば、微妙なところである。
というわけで、私たちは選ばなければならなくなった。きちんとお金を払うか、それとも広告にさらされるか、あるいはそのどちらでもない第三の選択をとるのか、だ。
幸い、最近のパソコンは非常にスペックがよく、テキストデータを扱うだけならば、ローカルで処理していてもなんら不都合を感じない。ツールを使わない分、その管理に自分の手間が発生してしまうが、しかし、案外それで十分間に合うことは、私自身も体感している。だったら、もうそれでいいのではないか、と考える人は今後増えていくだろう。
Evernote以降、あるいはGoogle以降、私たちは自分が扱う情報について、その取り扱い方をほとんど考えることなく、それらのツール/プラットフォームに丸投げしてきた。それはたしかに蜜月の期間であり、有益な時間でもあったのだろう。
しかし、それももう終わろうとしている。
・自分でサイトを作り、独自ドメインで配信すること
・自分のローカルで、テキストファイルを管理すること
・メールtoメールのように特定のプラットフォームを介在させない情報のやり取りをすること
そのような、Webの懐かしい姿が立ち上がろうとしている。そして、逆説的だが、私たちが「第三の選択」を取れるようになればなるほど、プラットフォームは使いやすくなろうと進化するはずだ。道は一つでは、むしろ迷走してしまう。隣を走る存在があるからこそ、真ん中を進んでいけるのである。