アイデアの無限スクロール | メンバー限定記事
デジタルツールを使うようになってから、メモが爆発することが増えました。
もちろん、物理的に爆散するのではありません。数がものすごいことになって手に負えなくなるのです。
以下のメモ原則、すなわち、
思いついたことは何であれ書き留めておく
散らばってはいけないので一ヶ所に集める
メモがどう活きるのかは事前に見通せない
を厳守すると、必然的に上記のような形になります。
でもまあ、数が多いだけだし、とずっと考えていました。むしろ、これくらいたくさんアイデアメモがあることは、物書き業としてはいいことではないかとも思っていました。
でも、本当にそうなのでしょうか。
無限スクロールが持つ問題
自分の現状に疑問を持ったのは、以下の記事を読んだときです。
SNS「無限スクロール」日本でも企業に責任問う 子どもの依存対策 | 日本経済新聞
細かい点はかまいません。重要なのは画面が無限にスクロールしていくその環境は未成年には良くないという見方が示されている点です。
なぜ、よくないか。切れ目ないスクロールは、データではなく動作の点で無限スクロールになってしまうからです。言い換えれば、無限にスクロールできる、ではなく、際限なくスクロールしてしまうという状態を促してしまう。
そうしたスクロールにおいては、意図はありません。「こういう情報が見たい」という欲望に駆動されているのではなく、スクロールできるからスクロールする。おそらく期待に関係するドーパミンが影響しているのでしょう。何かあるのかもしれない。その期待感だけに駆動されてスクロールしている。そして、実際たまに面白いコンテンツに遭遇します。ランダム強化です。
別の言い方として、Mindless Scrollingという言葉もあるようです。これも意図なきスクロールを表しているのでしょう。「気がついたら30分経っていた」というようなマインドフルネスとは逆の状態に陥ってしまっている。
たしかにそういう時間が一日の中で増えていけば、精神状態にはよくなさそうな気がします(あえて摩擦を入れるというアイデアもあるようです)。
という風に青少年の問題について考えていたときに、急にシナプスがつながりました。「あれっ、自分のアイデアメモって無限スクロールになっていないか?」と。
メモを見返したときに起きていたこと
振り返ってみると、自分のこのメモ項目の扱い方は、Mindless Scrolling に非常に近しくなっていました。
作業の合間にこの項目をのぞき、ずらずら〜と下までスクロールしていくけども、特に何も起こらない。実際は、断片的にいろいろな想いは起きるが、それはすぐ新しい断片に取って代わられる。
ある程度見終えると、結局何も処理できていない、むしろ処理すべきものが増えているといった嫌な感覚を覚えていました。でも、同じことを繰り返すのです。
これまでもいくつかこれとは違ったパターンを試してきました。だいたいはすべてを一つに並べるのではなく、日ごとにページを区切る手法です。しばらくはそれでやるものの、何かのきっかけで一列に並べることを試すと「うん、やっぱりこれだな」という感じがして、戻ってきてしまうのです。
私はその「これだな」という感覚を善なる導き(マスター・ヨーダの教えのようなもの)だと思っていました。でも、そうではないのかもしれません。単に、ある種の中毒状態が復活しているだけなのかも。インスタをやめると決めた人が、ついついそれを開いてしまうように。
メモの囚われ
「書き留めたメモは、手を入れて、使わないといけない」
という病的な発想に囚われていた可能性があります。だから、こうしたメモは、Workflowyでも最上位に置いていました。
WorkFlowyを開くたびにMemo項目が目に入り、それを開けば瞬く間に無限スクロールがはじまります。
もちろん、効能はあるのです。自分が書き留めたメモを何度も見返すわけですからね。それで育つアイデアはある。一方で、ある段階からはMindless Scrolling 的な要素が増えてくる。今の仕事に関係ないことが、脳内のメモリにどんどん読み込まれていく。コンテキストが”汚れて”しまいます。
私は、この「メモを書き留め、手を加えて、成長させていく」という方式は、梅棹忠夫よりも外山滋比古に強い影響を受けています。いわゆるメタ・ノート手法です。
一方で、よくよく考えれば私は外山の教えを中途半端にしか守っていませんでした。
この手帖の中で、アイディアは小休止する。しばらく寝かせておくのである。ある程度時間のたったところで、これを見返してやる。すると、あれほど気負って名案だと思って書いたものが、朝陽を浴びたホタルの光のように見えることがある。
外山滋比古『思考の整理学』p.100
メタ・ノートへ入れたものは、自分にとってかなり重要なもので、相当長期にわたって関心事となるだろうと想像されるものばかりのはずである。だからといって、毎日のぞいてはいけない。記録してあるというので安心する。しばらくは頭から離す。
外山滋比古『思考の整理学』p.106 (強調は引用者)
外山ははっきり「毎日覗くな」と述べているにもかかわらず、私はほとんど毎日このMemo項目を覗いていました。というのも、雑多に書き留められたメモには、直近で片付けたい用事などもあり、それは目にする必要があったからです。
あるいはそれを理由にしてMemo項目を覗いていたのかもしれません。メッセージを確認するという理由でSNSをチェックするように。
なんにせよ、仕切り直しのタイミングです。




