0005 : 眠れぬ夜の思考整理への返信メールの中身
Googleカレンダーによると、Beckさんとお会いしたのは去年の12月30日でした。メールを拝見して、ちょうどそのときの自分のことを思い出しました。
体調は不安定で、いつ調子が悪くなるかわからず、抗不安薬を財布の中にいつでも忍ばせておかないととても外出なんかできない状態でした。それでも自分は「マシになっている」と自分に言い聞かせていたものです。
今振り返ってみると、ぜんぜんマシにもなっていませんし、むしろ悪い状況が続いていました。単に波の一番良い部分だけを切りとってそう思い込もうとしていたのでしょう。でなければ、精神が持ちこたえられなかったのかもしれません。だって、いつまでこの状態が続くのかまったくわからなかったのですから。
あのときお話しましたが、その時点では心療内科には行かず、内科で処方されていた抗不安薬でなんとか日常を「やりすごしていた」のですが、その後2020年の2月に「もうだめだ」と思って心療内科のもんをくぐり、そこからは劇的に良くなりました。今では──薬を飲んでいるので断酒を続けていることを除けば──それまでとまったくかわらない状態に回復しています。それでも、「よし、大丈夫だ」と思えるまでは、やっぱり数ヶ月かかりましたが。
そうやって元気になってみて初めて気がついたのです。「マシになっている」なんてまったく嘘だったと。その直前までが、本当に一日を生きるのに精いっぱいで、その底は脱しただけに過ぎませんでした。「それに比べればマシ」であって、日常生活に比べれば、下も下の状態です。当然、そんなときにムリしたってどうなるものではありません。
私は幸い(なのかどうかはわかりませんが)フリーランスだったので、新しい仕事をすべてお断りし、またブログの更新なども自己判断で止めることで「休息」を持つことができました。二月以降体調が急速に戻ってきても「慢心してはいけない。いつ底が戻ってくるのかわからないのだから」という恐怖を覚えていたことを思い返します。
その一方で、ひさびさにパソコンを触り、エディタに文章を綴っていたときのあの感触は忘れようもありません。「私はこのために生きているのだ」と真剣に思ったくらいです。もし私がはるか昔に生きていたならば、エディタ教なる宗教を立ち上げていたかもしれません。それくらいに神秘的な喜びがそこにはありました。だからこそ、それを続けていけるように、今無理をすべきではないとも判断できました。重要なのは目先のプロジェクトではなく、一生を通して自分が何を為していくのかです。
だからメールで「じゃぁ僕は休むから後は勝手に大変な事態にでも陥ればいい」と書かれていたのを読んでちょっと微笑みました。まさにその通りだと思います。そのプロジェクトがポシャろうが、それで会社が大打撃を受けようが、究極的なところは「他人事」です。もちろん、そんな事態にならないことに越したことはありませんが、なるんならなるで仕方がありません。世界中を見渡せば、そういうトラブルはごく普通に起きているでしょう。それでも地球は回り、社会は運営されています。
とは言え、そんなことは百も承知だけども、そんな簡単には思いを切り替えられないのが実際でしょう。まさに、そういう切り替えを担当する脳の機能が落ち込んでいるからこそ、そういう状態になっているからです。そうした状態では、理屈や理性など蚊ほどの力もありません。むしろ、悪い方向に導くことすらあります。
私は、一時期本当に死にたいというか「死んだほうがいいのでは」という気持ちに支配されかけました。私のようなノーテンキライフを満喫してきた人間からすれば、新聞の一面を飾るどころか号外を出してもおかしくない希有なイベントですが、でもまさにそのときはそういう気持ちがしていたのです。こんなに周りに迷惑をかけ、自分もしんどい思いをし続けることになるならいっそ、と思ってしまったのです(私は自殺を個人の権利としては認めていません)。
何よりもおかしいのが、妻が「そんなことはないよ。私は迷惑だなんて思っていない」と言ってくれたことにたいして、「なんていい人なんだ。こんないい人に迷惑をかけている自分なんて……」という考えが頭を支配したことです。もう、なんでもありなのです。結論は決まっていて、そこに向けてあらゆる理屈が動員されています。
だからこれは気持ちの問題ではありません。理屈を学ぶことでも、思考を切り替えることでもありません。
脳の機能を回復させることが必要なのです。
脳が弱っていたら、どれだけマインドシフトしようとしても、気にしないようにしようとしてもどうにもなりません。どれだけドライビングテクニックを磨いても、エンジンが故障しているなら早く走るのは無理だというのと同じことです。
だから休んでください。こんなに休んで大丈夫なのかと罪悪感を感じるくらい休んでください。その罪悪感を感じる心自体が、人の心にストレスを与え続けるものであり、脳が弱っている限りはそれを締め出すのは難しいのだと個人的には思います。
再現性はどこにもないので、なんの保障もできませんが、私は半年ほどかけて普通に生活できるようになり、一年書けてごく普通に仕事ができるようになりました。
そして、不調の間に体験したこと、考えたことで、仕事との向き合い方もずいぶん変わりました。それは私の人生からみて良い変化だったのだと思います。
逆に言えば、そういう変化を体が要請していたからこその不調だったと言えるのかもしれません。体に逆らったって良いことは何もないので、ここは素直にその声に(弱っている心の声ではなく、体の声に)従うのが良いかと思います。
*この返信メールは、私のSubstackでも発信しておきます。もし同じように不調で苦しんでいる方がいれば、その人の助けになればと思います。