すべてが箱になる
ついにEvernote のMCPサーバーが公開されました。
現状はβ版ですが、すでに使っているユーザーからはなかなかよい感じであるという感想が聞こえてきています。すでにEvernoteには、ノートの横に表示されるAI アシスタント機能がありますが、ノート群に対しての操作はMCPの方がはるかにやりやすいでしょう。
さて、昨今のデジタル(ノート)ツールには、何かしらの形でMCPやそれに類似するシステムが登場しています。
WorkFlowyとNotion、およびDB版のLogseqではMCPが公式で提供され、ObsidianとCosenseではCLIが提供されています。後者の場合でも、CLIのコマンドとその使い方がテキストで解説されているなら、AIエージェントにお願いするときに困ることはありません。
つまり、AIエージェントに「この情報をノートにまとめておいて」と依頼すれば、MCP経由かCLI経由かでデジタルノートツールに情報を保存できます。
実際私も、WorkFlowyのMCPサーバーを、Antigravity CLIと紐付けて使ってみましたが、実に優美な体験でした。「これメモしておいて」と依頼すれば今日の日付の項目にメモしておいてくれます。「昨日のアイデアメモって何書いたっけ?」と尋ねれば、一覧を表示してくれた上にちょっとしたコメントもくれます。
まるで貴族の執務室で仕事をしているかのよう。
ポイントの一つは、もちろん口語で依頼できることです。「これメモしておいて」で成立するのはほんとうにラクチンです。
これまでも、クラウドツールでは、APIという形でツールへのアクセスルートは確立されていました。しかし、Evernoteで開発者アカウントを作り、クラウドAPIを叩くスクリプトをNode.jsで組んで、認証をSDK経由で行う、というのは開発者から見れば比較的容易でも一般ユーザーには敷き居が高すぎます。原理的・権利的には「誰にでも開かれて」いましたが、実務的には限られた人向けのルートだったと言えるでしょう。
MCP/CLI+AIアシスタントでは、そうしたアクセスルートが大きく解放されます。もちろん、MCPという概念の理解や、それを紐付けるだけの最低限の知識といったものはまだまだ必要ですが(一般の知識からすればそれは十分ハードルではあるのです)、それでも一定程度パソコンを使える人なら誰でも、くらいにまで拡大したとは言えるでしょう。素晴らしいことです。
裏でいろいろ
単に口語で依頼できるだけではありません。「これメモしておいて」という言葉に文脈を乗せることが可能です。
たとえばAGENT.mdに、「メモしておいてと依頼されたら、WorkFlowyの項目群から当日の日付(todeyで見つかる)のものを探し、そこに含まれている”アイデアメモ”の中に新規メモを追加する。その際、フラットなものは@ideaをつけ、〜〜するなどのように動作を必要とするものは@todoをつける」と書いておけば──よほどエージェントがさぼりたがっているとき以外は──適切にメモを処理してくれます。
上記処理の前半ならアルゴリズムでも書けるでしょうが、後半の処理はAIエージェントでないと相当に厳しいでしょう。
それだけではありません。
メモの処理のやり方を変えたかったら、AGENT.mdを書き換えればいいだけです。有能な秘書が、現場の状況を見て同一の指示に対して振る舞いを替えるように、自分が使っているツールを変更したら、メモ先の変更も簡単です。
カプセル化
ということは。
究極的に言えば、ツールなんでもよくね? ということになってきます。
先ほどの私の指示をもう一度見てみましょう。「これメモしておいて」。ここにはツール名が記載されていません。もちろん、AGENT.mdにはツール名が記載されています。しかし、それを依頼するときの私は具体的な”あて先”をイメージしているわけではなく、”メモを記録しておく”という動作だけが念頭にあるだけです。
仮にそのツールから情報をとり出すこともAIエージェント経由で行われるなら、それこそ「私」という主体にとってツールはどこであっても変わらないことになります。
それは単にメモするときにツール名を意識する必要がない、というだけに留まりません。ツールのUIや機能みたいなものも関係なくなっていくのです。
たとえば、WorkFlowyというツールの使用において「左側に表示されるバレットが苦手なんですよ」という声を一定数聞きます。エージェントを間に挟むならそんなもの関係ありません。ツール上の要素の配置、フォント、色、一度に表示される情報の数、メニューのボタンの多さ、ショートカットキーの押しにくさ……。すべて意味を成しません。なにせそのツールを「使う」のはエージェントなのですから。
ユーザーにとって、どこかに「箱」があり、そこに情報が保存されている。
その感覚だけあれば成立してしまうのです。ツールが持つかなり多くの差異が消失してしまう。
実際、「Obsidian×hoge(AIエージェントの名前が入る)で生産性10倍!」みたいなノリで語られているノウハウって、ほとんどがObsidianである必要がない話ばかりです。マークダウンエディタで、リンクが使えればそれで成立する。それがObsidianである必然性はない。別になんでもいい。
むしろ、そうした情報を取り出したりしまったりするときの文脈解釈能力が、つまり生成AIのモデルが一番大きい差異となる。
そんな未来が少しずつ近づいてきているのかもしれません。それがいいことなのかどうかはわからないわけですが。
箱ではない部分
もちろん、いいことはあるのです。
たとえば、メモ・ノートツールをいろいろ乗り換えてきた方は多いでしょう。エージェントを間に挟むなら、「メモを探す場合、まずWorkFlowyを探して。そこで見つからなかったらCosenseを。それでもなければEvernoteを探して」という処理を組むことができます。ツールが増えても一行書き足すだけでOKです。人間が同様の処理を毎回行うのは認知的負荷や時間的余裕からいってそうとう厳しいわけで、コンピューター利用の懐が広がることは間違いありません。
究極的に言えば、それぞれのツールを活かすことがパーソナル・コンピューティングの目標ではなく、個々人が情報とうまく付き合えるようになることが目標なわけですから、口語で簡単に依頼でき、どういうツールを使っていても特に問題が生じないというならば、おおむねハッピーと言えるのかもしれません。
さらに言えば、「アウトラインを作り、それを組み換えながら考える」といった直接的な操作においては、人間がツールを使う必要性は依然として残ります。でもって、そういう場合に、見た目や操作感覚の重要性はあらためて確認されるでしょう。
個人的には、生成AIエージェントを介したノートの使い方と共に、依然として残る「自分で手を動かして書くこと、考えること」についても探求を続けたいと思います。むしろ、新しい時代こそそうした技法の重要性が増していくのかもしれないな、と思いつつ。

