現在のインターネットの面白みのなさは、極限に迫りつつある。ブログ周りはなおさらだ。
正直なところ、検索結果がノイズまみれになっていること自体は、それほど悲観していない。それは便利・不便の尺度であり、ユーザー側が工夫すれば解決できることは多い。
しかし、現状のインターネットが、小さな個人の創造性を発揮する場所として機能しているかは疑問であり、そのことが悲観の大きな材料になっている。
私の率直な意見を言えば、自由に活動できる場所で汲々としていたり、「こうしましょう」という教えを忠実になぞろうとしている人が多いのは実に不満である。みんなもっと自由にやろうぜ、とロックな掛け声をかけたくなる。
なんというか、実に学校的なのだ。「こうすればうまくいく」という方法が提示され、いかにそれを充実になぞれるかで優劣が決まる、というような価値観が支配的である。というか、それが以前の「ネットの外」の価値観であり、いよいよネットにもその価値観が浸透してきた、ということなのかもしれない。
それって、創造性の育成には何の役にも立たないし、情報の扱い方が向上することも望めない。せっかく、これだけ自由に作り、失敗できる空間があるのに、失敗してはいけない環境であるかのように立ち回るのは実に実にもったいない。
Magic the Gatheringの話をしよう。
最近は情報が回るのが早いので、大会で優勝したデッキのレシピはすぐに手に入る。きっとオンラインで対戦したら、そういうレシピのデッキとたくさんぶつかるだろう。
さすがにトッププロが調整したデッキなので、そんじょそこらのデッキよりははるかに強い。でも、それだけなのだ。デッキを理解していないから、細かいプレイングにミスがあるし、なによりサイドボードができない。適切なサイドボーディングは、デッキのパーツ全体を理解してこそ可能なものである。
インターネットの(特にブログまわりの)「こうしましょう。そうすればうまくいきます」の通りに、自分の情報発信を行うのは、まさにプロのデッキをコピーしてそのまま使うようなものだ。練習することもなく。
正直、それでいくら経験を積んでも、得られるものはかなり小さい。少なくとも、自分で考えて、一つひとつ行為と工夫を積み重ねていくことに比べたら、学びなんてほぼゼロである。
もちろん、学びは真似から始まるし、「こうすればうまくいきます」は時間短縮に役立つだろう。でも、それをゴールだと捉えているならば、行き詰まりは必然である。そのようなアウトプットでは、どこにもいけない。どこにも連れていってくれない。
少しの幸運があれば、お小遣いくらいは手に入るかもしれない。
圧倒的な文筆力があれば、知名度は得られるかもしれない。
でも、それだけだ。それ以外の場合、個人が持つ創造性は何も育まれていかない。
これだけ失敗できる環境があり、それはつまり創造性の育成にぴったりな場所だというのに、「こうすればうまくいきます」以外のことにチャレンジしないのは実にもったいない。もちろん、何もしないことに比べれば、何かを生み出せるが、それはトッププロのデッキを使ったら、しょぼいプレイヤーには勝てるということ以上のものではない。
でもって、そういうプレイヤーがどれだけ増えたところで、ゲームの(対戦の)質は向上しないだろう。つまり、この社会の創造性は増えていかないことになる。
それはやっぱりもったいないことではないかと感じる。