アップデートが早すぎる問題
最近、アップデートが早まっている印象を受けます。
たとえば、WorkFlowyはこれまでかなりゆったりとしたペースで機能改善が行われていましたが、ここ一年くらいは目を見張るスピードで新機能が追加されています。
VS Codeもほぼ毎週のペースで更新作業が走っており、その他のツールも似たような状況でしょう。生成AIがコーディングに使われることで生産性が大いに拡大しているのだと推測します。
よいことではありませんか。
アップデートとは機能の修正や改善や追加なわけで、それ以前よりも「よい状態」になっているはずです。それが高頻度で行われるならば、私たちはよりよいソフトウェア体験へと近づいている……、と単純に言い切れないところが道具の難しさです。
アップデートのキャッチアップ
ツールがアップデートすると、その説明を読む必要が生じます。新しい機能が追加されたら、それを試してみたくもなるでしょう。
しかし、アップデートの間隔があまりにも短すぎると、試すことすら追いつかなくなります。あるいは、試したとしても十分にそれに慣れる暇がないかもしれません。もっと言えば、「その機能は何なのか、自分にとってどんな意味を持つのか」を考える余裕もないでしょう。それでは、道具に振り回されるばかりです。
しかも、です。
何か一つのツールのアップデートが早まるだけならばぎりぎり対応可能でも、使っているツールすべてでそれが起きています。あっちがアップデートしたら、今度はこっちがアップデートする。赤の女王が思い出されます。
生成AIまわりもそうではないでしょうか。ここ1〜2年くらい「生成AIはこう使う」という流行りが、超高速で興っては消えるという流れを辿っています。「先週までこう言っていたじゃん」みたいなことにしょっちゅう遭遇します。その提案がなんだったのか、どういう意味を持っていたのかを吟味している暇すらありません。
道具や方法と、私たちの理解の距離は縮まらず、むしろ広がる一歩な印象を受けます。
時間を必要とする
最大の問題は、人間の理解には時間がかかる、ということです。
すでに知っていることに+αするタイプの「知る」であれば、比較的簡単です。しかし、新しい概念の把握は、理解の創出であり、脳のネットワークの改変を含みます。ちゃちゃっと終えられるものではありません。
そもそもとして、私たちの体験を経験に変えるのは吟味です。吟味なきところ経験なし、みたいなテーゼを主張したいくらいです。
追い立てられるアップデートは、深みが欠けた体験を大量生産しているだけなのかもしれません。
対策を考える
そういうときに自作ツールは大きなメリットを持ちます。自分で改良しない限り、アップデートは行われないからです。言い換えれば、ある時点の状態でずっと使い続けられます。
もちろん、進歩もありません。時間とともに便利になっていったりはしないのです。しかし、その間に慣れたり、考えたりの時間は確保できます。
とは言え、「皆自作ツールをつくろうぜ!」というのは、レシピとしてはあまりに狭いでしょう。そこにある志向性のようなものを転用したいところです。
その1:ツールの数を絞る
そもそも私のようにたくさんの情報ツールをとりあえずインストールして、ちょこちょこアップデートをチェックしていること自体がちょっと行き過ぎているかもしれません。十分に使うツールをしぼり、そのツールのアップデートだけ追いかける、というならば許容範囲に収まるでしょう。
その2:アップデートを見送る
アップデートの機会があってもあえてそれを先送るという判断もありえます。MacOSではわりとそのスタンスを取っている方もいらっしゃるでしょう。そのためには自動アップデートを切っておくことが有効です。
ただし、最近のVS Codeはやらた目立つ位置に更新ボタンが表示されるようになり、あれを放置するのはそれでそれで認知的に邪魔、というような問題もあります。
その3:無視する
アップデートはしても無視するということはありえます。新機能?知ったこっちゃない、という態度を維持するわけです。
しかし、ボタンやメニューが変われば意識せずにはいられません。ツールによってはいちいち新機能のガイドを出してくるものもあります。その辺は、自分が使っているツールとの相談ということになります。
生成AIの活躍どころ
本来であれば、そうした細々したことは生成AIによって省略化し、吟味や思考するための時間を作ることが望ましい使い方でしょう。しかし、現状はどうなっているでしょうか。わりと右往左往している人が多い印象です。
究極的に言えば、以下の記事で書いたように生成AIがアダプターとなり、ツールを直接操作するのはユーザーではない、という状態がありえるでしょう。
そうなれば、アップデートの情報を「知る」のは生成AIでよく、もっと言えば、そのツール自身のMCPやらなんらに記載されていればOK、ということになります。ユーザーから見て機能や操作はカプセル化されており、いちいち気にせずとも情報整理が行える、というのが理想的な未来像です。
とは言え、何かを知っていることで新しい使い方を思いついたりすることもあります。保存して、取り出す使い方しかしていなければ、そこから新しい使い方が生まれてくるのかは少々疑問でしょう。
もちろん、「そういうマニアックなことを考えるのはごく一部の人間だけでいい。そうでないふつうの人はただ使えればいいのだ」という意見もありえるでしょう。しかし、私はその意見には乗れません。母数が大切だからです。一定規模の多様な人々が試行錯誤し、工夫を考えるからこそ新しいものが生まれてくる。それは人類史における発明や研究を見ていても言えることではないでしょうか。天才がひとりいればOKとは到底言えないと思います。
というわけで、私たちは難しい地点に立たされています。生成AIを完全に無視する判断はありえない。しかし、生成AIがもたらす変化にどう対応するのかは単に「生成AIを使えばいい」とは言えない。生成AIを使いつつ、それを使わない時間の豊かさ、使わない状態での思考、といったものの余白を確保しておく必要がある。そんな風に思います。


