タイムラインで以下の記事を見かけました。
◇ゲーマーは年々「ストラテジー」要素へのモチベを失っているとの調査報告。なぜか戦略要素だけ向かい風 - AUTOMATON
戦略ゲームへのモチベーションが減少しているという話ですが、記事の中に登場した図に惹かれました。「ゲームを遊ぶ際に駆り立てられるモチベーション」を分類した図です。
そこで、ググッてみると以下のサイトを見つけました。
◇Gamer Motivation Model - Quantic Foundry
というわけで、カードを作ります。
◇Gamer Motivation Model - 倉下忠憲の発想工房
こういうのは画像を貼っただけで終わらせたくなりますが、それだと知識の定着にはほとんど役立たないので、テキストに書き起こします。一応画像も一緒に置いておきます(サムネイルの見かけがよくなるので)。
ここまでは、簡単ですね。基本的に「頭」は動かしていません。つまりこのままだと「知的作用」は生まれていないわけです。
では、どのように頭を動かせばいいか。一つには、列挙したリストのうち、それっぽい用語をリンクにする手があります。それによって関連するページが表示され、そこから何かを考えることができる。
ただし、自分の直感からいって、ここに出てくる言葉はほとんど新規リンクになるでしょう。ゲームに関する情報をさほど集めていないのでそうなるのも自然です。一応、将来性に期待してリンクにする手もありますが、ここでは少し手抜きをしてそのままにしておきます(すべてに均等に力をかけることは不可能です)。
となるともう一つの手段がよいでしょう。つまり、「これって、何だろうな?」と考えるわけです。
「これって、何だろうな?」という問いへの答え方はいろいろあります。
たとえば、「このページは、ゲームに関する分類だ」という風に答えるとすれば、#ゲームの分類 のようなハッシュタグ(Consenseではただのリンク)を加えることになるでしょう。
もちろん、この分類は間違いではありません。ただそんなハッシュタグをつけたところで、嬉しいことは少なそうです。なにせ、今後の私がゲームの分類を収集していく可能性は小さいからです。もっと言えば、自分の興味があまりそこまで向いていないことを私自身が把握しています。
一応、少し前にボードゲームの「ジャンル」に興味を持ったことがあったので、それをまとめるページを作れば二つはつながるかもしれません。よって無駄ではないものの、益はそこまで多くないと判断できます。
だとしたら、ここで終わりでしょうか。いえ、そんなはずはありません。重要なのは、記事を読みながら、私が上記の分類に興味を覚えた点です。興味を覚えたからこうしてカードを作っているのであって、誰かの支持に従っているわけではありません。つまり、このカードには私の琴線(関心のアンテナとも言う)に触れる何かが含まれているのです。
それは何か。
おそらくそれは、ゲームに関する分類という文脈ではなく、何かを分類するというメタな視点での興味です。そうした分類の実際例としてこの情報に興味を向けた可能性が高い。
実際、このページの一つ前に作ったのが以下です。
◇岩波新書青版のアルファベットの意味 - 倉下忠憲の発想工房
ここでもある種の分類の実際例が示されています。
そんな風に考えを進めていると、少しずつ脳が活性化していきます。以下のようなページも一ヶ月以内くらいに作ったことを思い出してきました。
どうやら私は、「情報を分類するとはどういうことか」ということに興味があるようです。とすれば、先ほど作ったノートはその文脈に位置づけるのがよいのでしょう。そこで「#情報分類の実例」というハッシュタグをつけておくことにしました。
これでカードづくりの作業はいったん終了です(あくまでいったんです)。
お伝えしたいポイントは二つあります。
一つは、ハッシュタグのような補佐的なリンクをつけるときに、「この情報は、自分にとってどんな意味合い・位置づけを持つだろうか」を考えることです。
単なる情報整理であれば、形式的な分類を当てておくだけで機能しますが、自分の考えを発展させていくためのカード作り(思耕作語とでも呼びましょうか)においては、そうした分類は補佐的なものに過ぎませんし、そうした分類をしたことで安心してしまい、より困難な「この情報は、自分にとってどんな意味合い・位置づけを持つだろうか」という問いを回避することにもつながりかねません。
だからまず、自分にとっての意味合い・位置づけを考えてみてください。
もう一つは、そうして考えたからといってすぐに答えがでるとは限らないことを把握しておいてください。
実際私も、上記の帰結に至ったのは、かなりの枚数のカードを集めてからです。そうしたカードを作ったから、「文脈」が見えてきた。だってそうでしょう。文脈とは「連なり」なわけで、単独のものに「連なり」は生み出せません。数が集まって、はじめて見出せる事後的なものなのです。
しかしながら、それは随時考えておくことが必要です。「十分に集まってから考えよう」としてしまうと、怠惰な脳は「まだ十分じゃない。まだまだ十分じゃない」といつまで経っても頭を働かせることがありません。
足りていない状態であっても、答えがはっきり出せない状態であっても、そのときそのときに、「この情報は、自分にとってどんな意味合い・位置づけを持つだろうか」と自らに問うてみる。そこで答えが出たら、それで文脈を生成すればいいし、そうでなければまあしゃーないなとすっぱり諦める。そのようなアプローチがよいかろうと思います。
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