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メモシステムにおける驚き | メンバー限定記事

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倉下忠憲@rashita2
May 22, 2026
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前回の続きです。

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ルーマンはどう語ったか | メンバー限定記事
先週、以下のような記事を書きました。…
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8 days ago · 倉下忠憲@rashita2

まず、ルーマンが「書くことは、洗練された、あるいはネットワーク化された仕方で思考する上で必要不可欠だ」と述べたことを確認しました。その上で、どうせ書き留めるんだったら、そのことを通して、コミュニケーションのパートナーをつくるのがよいだろうとも提案しています。

ここでの”コミュニケーションのパートナー”は、単なる話し相手という意味ではなく、「互いに驚きを与え合える関係」を有した相手のことです。言い換えれば、予想外の何かが出てくるやりとりが可能なもの。

この点で、巷の「セカインドブレイン」なるものがどれだけこの要件を満たしているのかは疑義のまなざしを向けてよいでしょう。また、生成AIとべったりくっつくことで「研究主体=生成AI」となってしまい、驚きが何も生まれないという状態も考えられます。

肥大化した情報倉庫が生まれ、創造的な思考の身動きが取れなくなってしまっている状態。

そうした状態には陥らないようにしたいものです。

異なる比較スキーマ

では、引き続き「Communicating with Slip Boxes by Niklas Luhmann」を見ながら進めていきましょう。

For communication, we do not have to presuppose that both parties use the same comparative schema. The effect of surprise even increases when this is not the case and when we believe that a message means something (or is useful) against the background of other possibilities. Put differently, the variety in communicating systems increases when it may happen that the two partners successfully communicate in the face of different comparative goals. (This means that it is useful for the other partner.) This requires the addition of randomness (Zufall) into the system—randomness in the sense that the agreement of the different comparative schemata is not been fixed, or that the information which is transmitted by communication is correct, but rather that this happens (or does not happen) “at the occasion” of communication.

情報は一つの系(システム)の中で、比較が生じるときに生まれ、そこでは比較するためのスキーマが働いていると、前回に確認しました。

ここで強調されているポイントは、研究主体とコミュニケーションのパートナーが同じ「比較スキーマ」を有している必要はない、という点です。むしろ、そうでない場合や、「when we believe that a message means something (or is useful) against the background of other possibilities.」(他の可能性を背景にメッセージが何らかの意味を持つ(または有用である)と私たちが信じる場合)に、驚きの効用は増大すると述べています。

対人のコミュニケーションで考えてみましょう。誰かが何かを発言する。そのとき、あなたの比較スキーマではその発言はほとんど無意味に聞こえる。しかし、そこに意味があるとしたらどのようなことだろうかと考えるとき、すなわちそのような思考が起動するとき、「あっ、そういうことか!」という驚きが生まれえる、ということです。

たとえば、同一の比較スキーマが働いているだけだと、「あるある。」で終わってしまいます。共感は素晴らしい心の働きですが、それは驚きではありません。再確認です。

一方で、異なるスキーマでも、それが無意味な音を発しているだけだと聞き手が信じているなら──葬送のフリーレンにおける魔族の発言のように──、「あっ、そういうことか!」は生まれません。異なるけども、意味があると信じられるときに驚きは生まれます。

たまたまの出会い

このコミュニケーション論から、ルーマンはシステムにランダム性を加える必要性を提示します。

This requires the addition of randomness (Zufall) into the system—randomness in the sense that the agreement of the different comparative schemata is not been fixed, or that the information which is transmitted by communication is correct, but rather that this happens (or does not happen) “at the occasion” of communication.

翻訳では randomness に Zufall が添えられています。ドイツ語の Zufall は「偶然, たまたま起こったこと」の意味であり、直接的な感覚だと accident が近いようです。日本語でランダムというと、乱数的なバラバラがイメージされやすいですが、そうではなく「意図外の出来事」のような感触で捉えるのがよさそうです。

そうした出来事によって、驚き→情報の生成が生じる。

If a communicative system is to hold together for a longer period, we must choose either the rout of highly technical specialization or that of incorporating randomness and information generated ad hoc. Applied to collections of notes, we can choose the route of thematic specialization (such as notes about governmental liability) or we can choose the route of an open organization. We decided for the latter. After more than twenty-six years of successful and only occasionally difficult co-operation, we can now vouch for the success or at least the viability of this approach.

ここで、ルーマンは二つの道行きを示します。「高度な技術専門化の道を選ぶか、ランダム性とアドホックな情報生成を取り入れる道を選ぶか」の二つです。ここでは情報の扱いについて議論されているので、

  • テーマ別の専門化

  • オープンな組織化

の二つとなります。もちろん、ルーマンは後者を選択したわけです。この点はさんざん、Zettelkastenの説明でも出てくるでしょう。いわく「ツリー構造ではなくネットワークだ」と。「リンクで接続するんだ」と。

手法の具体的な一部に注目すればたしかにそれは間違っていません。しかし、ルーマンがこの論文で述べようとしていたことに比べると、その話はあまりにも些末です。

コミュニケーションとして捉えること、比較スキーマ、そして驚き。

それこそが用いられる語彙と議論の内容であり、「ツリーを使わずリンクでネットワーク化したらALL OK」みたいな話は、Null すぎます。少なくとも、そういう話をしてしまうと本来フォーカスを合わせるべき焦点がズレてしまう問題が起きそうです。

問題ではないコウモリ問題

ここでメモの扱いについて考えてみましょう。

いわゆるカテゴリーによる分類がうまくいかないという話はよく聞きますし、実際にその通りではあるでしょう。よく挙げられる理由が「コウモリ問題」です。野口悠紀雄が提示したこの問題はカテゴリーを越境するようなメモの扱いに困ってしまう、というもの。

AとBというカテゴリーをつくると、「AでもありBでもあり」というメモをどちらに入れたらいいのか迷ってしまう。

単に迷うだけでなく、自分がどちらに入れたのかを思い出せないと、後から探すときにも困ることになります。

でもこれはアナログのメモの話です。たとえばWorkFlowyを使ってみればわかります。キーワードで検索すれば、Aのノード下にあっても、Bのノード下にあっても見つけられます。Obsidianでvaultの中にサブフォルダを作っていても同じでしょう。

ようは、全体を対象に検索ができないアナログ的問題であって、デジタル時代では「コウモリ問題」は問題にはならないのです。よくリンク(タグ)を使えばこの問題を回避できるという話がありますが、そもそも検索できる時点で問題化されない話なのです。

にもかかわらず、やはりカテゴリによる分類はうまくいきません。

なぜか。

それはカテゴリ的分類があるからではなく、その分類が静的だからです。

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