さあ、10月です。天気と気温がヤバめですが、とりあえず先月の活動を振り返っておきます。
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R-style
現在、R-styleというか、その上のrashita.netを再構築中です。R-styleの在り方も変わってくるかもしれません。もっとWebで楽しめるようにしたいですね。
WEBノート
先月に読んだWeb記事を振り返ってみます。
生成AI with 知的生産
◇デジタルハリウッド大学、学生に“散歩”させる講義を必修科目に 全16回、各1時間の散歩でクリエイターとして自ら動く姿勢を養う(KAI-YOU) | Yahoo!ニュース
◇生成AI以前と以後でエンジニアの文章はどう変わったのか: Qiitaの7万記事を数えてみた話 | 逆瀬川ちゃんのブログ
大きく三つの話があるかと思います。
一つは、仕事で求められる成果物が生成AIでポン出しできるようになったとしても、人間の生活全体において「知的生産」的な営みがまったく不要になるわけではない、ということ。どこかで頭を使い、判断する、ということをやっておかないと、判断のための筋力みたいなものが衰えてきます。それはふつーに、やばいです。
次に、生成AIとチャットしているだけだと世界がめちゃくちゃ狭くなります。あたかもそこに世界の全てがあるかのような感じがしますが、完全に幻想です。もともとインターネットでもそういう傾向がありましたが、生成AIの場合は「私が投げたプロンプト」に応じた情報が提示されるので、狭さの幅がさらにひどいです。妄想スパイラルがあっという間に進行します(その症例は皆さんも思い当たるのではないでしょうか)。広い意味で「外」に出る必要があります。外出する、人と会う、普段触れないものに触れる……。世界は自己認識より広い、と書くと当たり前ですが、それが見えなくなるのが怖いです。
最後に、子ども、つまり経験がまだ十分ではない存在にとって、上記二つはかなりクリティカルな問題になってきます。つまり、「あたまを使う経験」「世界に触れる経験」が不足して、ぜんぶ生成AIでOK,というのは、ヤバイオブヤバイだと思います。もちろん、そんな極端な状態に至ることは少ないかもしれませんが、それでも指針として「多様な経験、自分でいろいろやってみる経験」の機会を意識しておくことはとても大切なことでしょう。
Webづくり
Bakuさんの提言が面白いです。
知識整理術って、梅棹忠夫の京大式ノートに始まり、最近流行りのジャーナリングや、Notion/Obsidian活用術とか、枚挙にいとまがないジャンルでもあります。けど、そういうのを鵜呑みにしたところで、結局三日坊主でおわるんですよね。だから、ぼくが推したいのは、自分なりの知識整理術を自作するってことです。自分で考えりゃそれは血肉になる——っていうのもまぁ、そこそこ退屈なアドバイスのような気がしてきました。
たしかにそうですね。そして、こう続きます。
だからより過激に踏み込んでおすすめしたいのは、CMS = Content Management Systemの自作です。自分だけのために知識整理するんじゃなくて、一応はWebページとしてよそ向けに公開するわけですから、モチベーションと緊張感をある程度他律的に保つことができます。なにより、知識のデータ表現やその連関の仕方について、DBやスキーム設計から技術的に再考することは、自分がどういう知識観を持っているのかを内省する、もっとも精緻で実践的な方法なんじゃ無いかと思っています
実に挑発的。でもって本当にその通りです。
僕たちはブログ形式(もっと言えば、WordPressスタイル)にあまりにも便利に乗っかり過ぎてしまったのではないか、という懸念があります。たしかに楽は楽です。でも、そこには発見のようなものがありません。あらかじめ決められた様式にそって「コンテンツ」を投下していくだけ。
最近、自分のローカルのシステムをいろいろいじっていますが、必然的に自分は情報をどのように捉え、どのように使いたいと思っているのかの内省が生じます。そこでわかってくることが多いのです。今までは便利なツールに乗っかり過ぎて、その思考が十分な深度を持っていなかった──ツールをどう使うかしか考えていなかった──、という気がするのです。
同様のことはWebサイトにも感じていて、だからこそR-styleではなく、その一つ上のrashita.netを再構築しています。ブログを改めるのではなく、サイトを改める。そのときには、そもそもCMSという観点すらも疑ってかかる必要があると今は考えています。
読了履歴
9月に読み終えた本です。
2026年09月03日 『はじめてのベルクソン』
2026年09月03日 『ロード・エルメロイⅡ世の冒険3 彷徨海の魔人(下)』
2026年09月03日 『オービタル』
2026年09月08日 『フリースクールという選択』
2026年09月08日 『佐々木とピーちゃん4』
2026年09月09日 『極悪貴族、謙虚堅実に無双する』
2026年09月10日 『すっきり暮らしたい私の ものとそうじ 』
2026年09月11日 『スピノザの世界』
2026年09月12日 『アクロイドを殺したのは誰か』
2026年09月13日 『ゾンビ回収婦』
2026年09月16日 『なぜ私たちはいつも時間に追われるのか』
2026年09月18日 『転生程度で胸の穴は埋まらない5 (電撃文庫)』
2026年09月19日 『数学ができるとはどういうことか』
2026年09月22日 『佐々木とピーちゃん5』
2026年09月22日 『続・魔法科高校の劣等生 メイジアン・カンパニー(12) (電撃文庫)』
2026年09月24日 『Re:ゼロから始める異世界生活 44』
まず小説は、『オービタル』と『ゾンビ回収婦』を読みました。『オービタル』は2024年ブッカー賞受賞作で、新しいハヤカワ・プラスレーベルから出ています。国際宇宙ステーションで暮らす(?)人たちの”一日”を描く作品で、わりと幻想的な雰囲気もありました。『ゾンビ回収婦』は第175回芥川賞受賞作で、ブルシットジョブとVRがモチーフになっている現代的な作品です。ある意味、両方とも今の日常・現実ではない世界での日常・現実を描いていると言えるかもしれません。
諸所の事情で手に取った『フリースクールという選択』は、普段見聞きしない世界の話で興味深い点がたくさんありました。しかしそれよりも前に、日本の不登校児の数の多さにびっくりしました。これを「機能している制度」として見るのはもはや無理なのではないか、という気がしてきます。
他の新書は、『はじめてのベルクソン』 『なぜ私たちはいつも時間に追われるのか』『数学ができるとはどういうことか』で、どれも面白いです。特に前者二つは「時間」というキーワードで接続しています。非常に現代的な問題ですね。どちらも濃厚な内容になっています。『数学ができるとはどういうことか』はプリマーで手軽に読める内容ですが、案外この問いに答えるのは難しいですね。
あと『スピノザの世界』は、スピノザがいかにヤバい哲学者(褒め言葉です)なのかが実によくわかる一冊でした。さらに、彼の汎神論がどのようにして倫理と接続しているのかの見取り図も得られました。それにしてもよくこんなことを考えたなというその一点で偉大さを感じます。
知的生産の技術で言えば、『アクロイドを殺したのは誰か』は抜群に面白かったのですが、クリスティー作品のネタバレを踏みまくることになるので、万人にオススメはしにくいです。もちろん、この本を読んでからクリスティー作品を読むこと自体が不可能なわけではありません。しかし、読書体験の質そのものが変わってしまうだろうことはほとんど確定です。それでもなお、「本を読むとはどういうことか」を考える上で有用な示唆が詰まった一冊だと思います。
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