20年前は、デジタルノートが下手だった | メンバー限定記事
最初にちょっと告知を。
『生成AIとライフハック: 個人的なコンピューティングにむけて』
という電子書籍をセルフパブリッシングしました。自分なりに書きたいことを突っ込んだ一冊です。よければチェックしてみてください。
告知終了。
さて、以下の記事でEvernoteのノートをObsidianに移植する実験を紹介しました。
現状、移植したノートを運用する気持ちはまったくありません。あくまで8万規模のノートをObsidianに移植したらどうなるのかという「未来予想」を確かめたかっただけです。
だからといって、Evernoteのことは無視して新しいObsidianの運用にワクテカするというのでは学びがありません。むしろ、私はEvernoteで何をしていたのかを考えることが、他にはない”教材”になるでしょう。
基本深く考えない
EvernoteとNotionを対比したときに、一番顕著なのがEvernoteは深く考えなくても使える、という点です(この点はCosenseもちょっと似ています)。
構造といったことはややこしく考えずに、とりあえず保存する。それで後からタグをつけたりノートブックに移動したりする。先に構造の設計を必要とせず、取り込んだノートに合わせて検索構造を仕立てられるところがEvernoteの魅力です。
私はその魅力を目一杯活用しました。”考えること”は後回しにして「とりあえず、保存しておく」。そのようなやり方をしてきました。その結果が8万に迫るノートです。完全なLifelogには遠いものの、他の人ではまず保存していないだろう情報がたくさん眠っています。
Evernoteは、厳密な構造的整理をしなくても使えるのが魅力であり、最悪「全文検索して、上から見ていく」という力技が使えます。効率が悪かろうが、「ここに置いておけば、見つけられる」安心感があるわけです。
なので、後回しにしたはずの”考えること”も先送りが繰り返され、十分に整理(というか構造化)されていないノートや、内部的に混乱している構造がたくさんありました(ノートブックとタグの混乱、重複するタグなど)。
そうしたノート群がうまく使えなかったとして、悪いのは誰でしょうか。Evernote?
そんなわけはありません。徹頭徹尾、テキトーにすら至れないレベルで雑にEvernoteを使ってきた私が悪いわけです。
「深く考えなくても使えるよ」という誘いに負けて、本当に深く考えずに使ってきた。それでは技術が向上する見込みはありません。ただバットを振っているだけでバッティングがうまくなるわけではない、というのと同じ話です。
ノーティングは、一つの技術である。
そのようにテーゼっぽくいってみると、2008年頃の私は本当にデジタルノーティングが下手でした。
下手くその数々
一番わかりやすいのはWebクリップでしょう。EvernoteのWebクリッパーが本当に便利だったので、見かけたページはひたすらクリップしていました。
ジャンルを限定しない総合的なWebクリップだけでも1万3000ノートがあります。
これらの中には、もう一度読みたいので記事全体を保存しておいたものもあれば、単にURLだけで良いものも混ざっています。さらには、まだ読んでいないのに「あとで読むから」としてクリップしたものもあります。大混乱です。
一方で、リンク集のような便利なノートはぜんぜんありません。用途による形式の切り分けがまったく行われていないのです。ただクリップしてあるだけ。使い勝手がよくなる見込みはゼロです。
ノートの最初の入り口としてのinboxは、途中で整理することを放棄して、5000を超えてしまっています。
デジタルノートをはじめて一年くらいの人のノートの総数よりも多いんじゃないでしょうか。混乱というよりも混沌です。
それでも、Evernoteを「備忘録」として使うならばたいして問題は生じません。必要になったタイミングで検索して、苦労して見つける。それができれば──見つけられないことに比べれば──意義があります。
問題は、そうでない用途です。たとえば「アイデア」。





