デイリーノートという起点
デジタルノート、最初の一歩
私が考えるに、デジタルノートを運用していく上で、一番起点にしやすいのは「デイリーノート」です。R-styleの記事でも少し触れました。
デジタルノート・ツールでは、もともとその機能を有しているものも多いです。Evernote、Obsidian、WorkFlowy、RoamResearch、Logseq、Capacities、Heptabase、Tana、あたりはデイリーやそれに類する機能を持っています。
CosenseやNotionには標準ではそうした機能はありませんが、シンプルな考え方なので運用自体に問題はないでしょう。
ようはデジタルノートツールとデイリー方式の親和性は結構高いということです。
では、なぜデイリーノートが起点にしやすいのか。少し考えてみましょう。
メタファーとして
デジタルノートツールは「ノート」です。ノートはとは何なのかを明示的に定義できなくても、私たちの脳はその言葉をきいて活性化し、思い浮かべるイメージがあるでしょう。
綴じた帳面、あるいはルーズリーフ。
そのような「白紙の存在」は自由度が最大な分、決定することが多く、扱いに困ることが少なくありません。そのときに役立つのが、あらかじめフォーマットが印刷されているさまざまです。
つまり、日記帳や手帳です。
それらはどうなっているでしょうか。たいてい「一日」が一つの項目として扱われているでしょう。ビジネス手帳のように見開きの2ページに7日が押し込まれているものもあれば、ほぼ日手帳のようにリッチに一日一ページになっているものもありますが、なんであれ一日は一つの「単位」として扱われています。
そうしたものを使い慣れていたら、デジタル「ノート」でも一日を一つの項目として扱うことは、そこまで認知的飛躍を必要としないでしょう。言い換えれば、がんばって「勉強」する必要がないわけです。
もう一つ、「一日」という単位は、かなり普遍性が高いです。情報をカテゴリで分けると、そのカテゴリを使わない人が一定数出てきますが、時間の中に生きていない人間は(おそらく)いないので、だいたいの人が使えるのです。
ちなみに、私は自分の経験から「すべての人に使える」とまでは言い切れないと感じています。コンビニで深夜勤務をしていたときは、朝帰宅してから寝て、夜出勤する前にも寝ていて、「一日」という単位が二度の睡眠で分割されていたからです。
もちろん、そういう生活でも「一日」単位の記録は不可能ではありませんが(実際ほぼ日手帳を使っていましたが)、自分が想定する生活が、世界中のすべての人に広がっているとは限らないと考えるのは、人文的な読み物を読んできた経験から得られた想像力であり、これは結構大切にしたいと考えています。
ここにも用途が顔を出す
というわけで、認知的に起点にしやすいのがデイリーノートですが、だからといってその内実が単純というわけではありません。
実際、さまざまな人が「デイリー」形式で記録を取っていて、それぞれで違ったことを言っていることに気がつきます。どれが正解かという話ではなくて、それぞれで用途が違っているのです。
くどい話になりますが、世界中の文化を眺めて「どの国の文化が正しいのか」と問うことに意味がないように、それぞれの人がある用途において何かしらのやり方を選んでいるのかに「正しさ」はありません。ここに原理主義を持ち込むと、他人の尊厳を傷つけかねないので注意が必要です。
なので、デイリーノートはどういう用途に応えられるのか、という観点から整理していくのがよいでしょう。
基本的な共通点
個々の用途については次回以降で掘り下げるとして、デイリー方式が共通して持つ良いところを確認しておきましょう。それは、先ほども述べたように、人は時間の中に存在しているからです。あるいは、「中に」というよりも「上に」が近いかもしれません。あるいは存在そのものが時間である、という言い方も可能です。
なんであれ、私たちの意識活動と時間は切り離すことができません(夢の中では切り離せます)。私たちが何か具体的な行動をとるとき、そこに時間は常につきまといます。その「具体的な行動」には、もちろん「書き留める」も含まれます。
つまり、何かを書き留めようとするとき、それは常にある時間(タイムスタンプ)を伴うと考えて差し支えないのです。
アナログの場合でも、何かをメモするときの厄介さは「それをどこに書き留めるか」の判断にあります。具体的なメモ、たとえば講義を聴いているときのメモであれば講義ノートに書けばいいでしょう。しかし、そうした具体的な文脈をまだ持っていないメモは、書く先の判断が困ります。しかし「2026年1月20日」のノートがあれば、少なくともそこに書くことは間違った判断にはなりえません。その「書き留める」という行為が、たしかに日付で行われているという認知的な安心感が生まれます。
デジタルにおいて、その安心感はもっと大きくなります。
アナログのメモであれば、物理的な実体があり、認知的な確からしさが大きいです。もちろん、カバンの中でごちゃごちゃになってしまう、みたいなことは起こりますが、ロディアのようなちぎり取るメモに書いて、とりあえず机の上にでも置いておけば、「書き留めたもの」を認知的に確認することは容易です。
しかし、デジタルの場合、具体的な実体がないので、大量に情報が入ってくるとあっという間にそうしたメモは「見えなく」なってしまいます。確からしさを失う→不安になる、というメモの役割を逆転させてしまうことが生じるのです。
不思議なことに、それぞれの日付の中に書くことをするだけで、「日付のノートをたぐっていけば見つられる」という安心感が生まれます。本当にそれを見つけられるかどうかはこの際問題ではありません。自分が書き留めたものがある秩序(この場合は時系列への応答)に置かれているというその認識が、安心感をもたらすのです。
二種類の起点
というわけで、デイリー方式は以下の二種類の意味で「起点」となりえます。
アナログでよくやっているので概念の把握がやりやすい
文脈が未確定の情報の「デフォルトの文脈」として扱いやすい
これは、具体的な用途の手前にあるデイリー方式のメリットです。
ここからさらに用途ごとに発展させていきましょう。

