情報整理1.0、2.0、3.0
これからのために、これまでを振り返る
少し先の話をしたいので、一つ手前の話からはじめます。
『Scrapbox情報整理術』において、私は情報整理の流れを3つに区分しました。
情報整理1.0
情報整理2.0
情報整理3.0
情報整理1.0
情報整理1.0は、プリミティブな整理です。私たちが「整理」と聞いてまっさきに思い浮かべるイメージ。一つの場所に、一つの物を置いておく整理です。冷蔵庫の下の引き出しに缶ビールを入れておく。作業机の左の小物入れにカッターナイフを入れておく。物理的な物は、ある瞬間には一つの場所にしか存在しないので、「置き場所」を決めれば、目当てのものにアクセスできることが保証される、という寸法です。
たいていの場合、配置には階層化が使われます。部屋にすべての物がフラットに並んでいることはないですよね(よほどのミニマリストでもなければ)。たいていは品を入れておく箱やら棚があるはずです。場合によっては、その中にさらに箱やら棚やらがあるかもしれません。「置き場所の、置き場所の、置き場所」という感じで、入れ子状になっていくのが階層化です。
パソコンなら、ファイルとフォルダをイメージするとよいでしょう。ちなみに、日本の住所なども、都道府県→市町村→地名という風に階層で整えられています。チャンク化であり、名前空間のデザインでもあります。
情報整理2.0
情報整理2.0は、そのような整理に対して反旗を翻した整理です。入れ子状の階層化によって意味/位置を細分化するのではなく、一列に並べます。配列する。その中から、目的のものを見つけるのが2.0の情報整理です。
有名なのは、野口悠紀雄の押出しファイリングです。手元の資料を封筒に入れ、それを「使った順」に並べていきます。カテゴリーごとに大分類→中分類→小分類といったことはしません。封筒をただ一列に配列するのです。そして、新しく入ったもの、あるいは一度取り出したものを手前に戻します。それを繰り返せば、直近のものほど手前に、古いものほど奥にという「構造」が生まれます。
一般的に資料というものは、「最近のものほど使われる」傾向があるので、統計的に見れば階層的な分類を辿って情報にアクセスするよりもよほど効率的に情報にアクセスできるようになる、というのが押出しファイリングの趣旨です。
これは、Yahoo!カテゴリとGooogleの検索結果を対比させてみてもわかりやすいでしょう。前者はカテゴリを辿って目的の情報を探す、後者は配列された検索結果のリストから探す。圧倒的な勝者となったのはGoogleで、もちろんそれはページの量があまりにも多くなりすぎて、カテゴリを人間の手で整備するのが限界を迎えたからです。整合的なカテゴリを維持し、キュレーションを続けるには膨大な手間がかかるのです。当然それはコストがかかることを意味するわけですが、それをペイするのは──無料が尊ばれるインターネットでは──非常に難しいでしょう。
というわけで、配列し、そこから検索するという流れがデジタルでは主流になりました。
ちなみに、梅棹忠夫もカード法については「分類するな、配列せよ」(『梅棹忠夫 語る』より)と述べています。その後に、「大事なのは検索」とも続けていて、デジタルに親和性の高い考え方を持っていたのだとわかります。そもそも”カードにする”という所作がデジタル的ですね。
さらにいえば、入れ子状の構造は「固定的な分類」と結びつきやすく、それは思想的・発想法的に嫌われがちなものですし、また「階級」「縦割り行政」のイメージもあって、脱階層化のメッセージはただそれだけで思想的に受け入れられやすい傾向があるように思います。
しかしそう単純なものではない、というのはTak.さんによる一連の著作を追いかければ理解できるかと思いますが話が長くなるので深入りはやめておきます。
情報整理3.0
情報整理2.0の段階からデジタル親和的だったのですが、より親和性が上がるのが情報整理3.0です。この整理では「リンク」を使い、情報にネットワーク構造を付与することで、目的のものを見つけられるようにします。
このコンセプトは、実はかなり古い起源を持ちます。著名なのは1945年のヴァネバー・ブッシュによる "As We May Think”で、この論文では集めた資料を別の資料と「関連づける」ことで思考の足跡を残していける機械の重要性が指摘されています。もちろん、その時代に現実的に存在している機械の話ではなくあくまで思考実験的なイメージです。
一応時系列を確認しておくと、野口悠紀雄の押出しファイリングが1993年、WWWの実装と公開が1990年、HyperCardの発売が1987年、アラン・ケイによる“A Personal Computer for Children of All Ages”が1972年、梅棹忠夫のカード法が1969年です。それらに比べても圧倒的に早い時期に提案されているというか、むしろヴァネバー・ブッシュのそのイメージ(機械はmemexと呼ばれています)が、現代までのWebを引っ張ってきたといっても過言ではないでしょう。少なくとも、私たちが今当たり前に使っているリンク(ハイパーリンク)の思想的源流ではあるはずです。
実際、Googleが世界を席巻する前から、私たち(つまりインターネット老人会のメンバー)は、自分でサーバーを借り、そこにファイルをアップロードして、ファイル内にリンクを記載していました。自分でネットワークを築いていたのです。
そのリンクは、あるページの「次に読むページ」だったり、あるいは「参考にしたページ」だったりと、内実はさまざまでした。リンクは、自分のサーバー内の別の情報とだけでなく、別のサーバーにある情報とも接続できたのです。越境的/ハイパーなリンク。私たちは、全員がWebに参加していました。
とは言え、そのハードルはその時点ではまだ高いものでした。Evernoteが多くの人に使われるようになり、それがCosense、Obsidianと広がってきたことで、個人の情報整理においても「リンク(ハイパーなリンク)」が使えるようになったのです。
運用はとても簡単です。
たとえば、「2026年の確定申告」というノートがあったときに、「2025年の確定申告」というノートとリンクしてあれば、去年の手順がなぞりやすくなるでしょう。あるいは、「マイナンバーカードの読み取り方」というページとリンクをしておいても便利そうです。
ある情報を使うときに、一緒に使われやすい情報というのは必ずあるもので、それらをリンクでセットにしておけば運用がとても楽になります。そして、インターネットのリンクがそうであるように、そのリンクは「内側」だけでなく「外側」とも接続できます。実体の情報がぜんぜん別の場所にあっても、それらをつなげられるのがリンクの魅力です。
上位互換?
さて、ここまで情報整理の流れを確認してきましたが、注意しておきたいのはこれらが「アップデート」の歴史ではない、ということです。つまり、1.0よりも2.0が、2.0よりも3.0が優れているわけではありません。単に、適用できる範囲や要件が異なるだけです。
実際、机の上の文房具入れがネットワーク型で整理されていてもあまり嬉しくないでしょう。逆に、10万を越えるデジタルノートを階層的に分類せよと言われたら完全にお手上げです。
最近の図書館は、開架において基本的な分類をしつつも、「入ったばかりの本」や「返却されたばかりの本」という配列を作っているところもあります。異なる分類が、役割ごとに使われている好例です。
そんな風に、情報整理の運用においては適材適所の発想が必要となってきます。
そもそもGoogleのページランクも、リンクの情報を考慮して作られています。ネットワークを背後に持つ配列というのが、彼らの強みだったわけです。
よくこの手の話では「古い情報整理は無意味。今はこの新しい情報整理!」と謳われることが多いわけですが、現実を見たらそんなに単純な話になっていないのはすぐにわかります。
むしろそれぞれの情報整理の特性を理解し、うまく使えるようになっていくこと。それが目指したいスタンスでしょう。
という話をした上で、次回は生成AIについて考えてみます。

