あとからカードをつなげていく
そうだ、と思いつきCosenseに新しいページを作りました。
「リキッド・コンセプト」というフレーズが閃いたのですが、まずは日本語でタイトルを書き、ざっとした説明を付け加えました。
「バウマン」をリンクにすると、関連ページに表示が増えました。
クローク型共同体ってなんだっけ、と思いクリックしてみます。
ページ自体は7年前に作られていました。2019年。もちろん、こういうページを作っていたことはすっかり忘れています。内容も然りです。
ページを読んでみると、クローク(劇場などでコートを預ける場所)がキーとなった概念のようです。コートを預け、演劇に夢中になっている間はある種の集団・集合が形成されるが、それが維持されることはなく、演劇が終わったらちりじりになる、という関係性の在り方を示しています。
それが現代の「炎上」時の関係性に近い、ということが示唆されているのでしょう。
カレント・リーディング
2026年の私がこのページを読み返してみると、新たに思いつくことが出てきます。
たとえば、これはバラバラの個人でもなく、固定的な構造に取り込まれるのでもない、中間的な在り方だと捉えるならば、東浩紀さんの観光客の哲学との類似を指摘できるかもしれないな、と思いつきました。
Cosenseではかつて作ったページへのリンクは簡単に呼び出せます。開きブラケットを打ち”観光客”と入れたら候補に書名が出てきました。
リンクを確定し、続きを書いておきます。
ここで考えたいのは、観光客の概念を否定的に見るのではなく、そこにクローク型共同体=炎上共同体と似た性質があるのだとしたら、それをより肯定的に強調するためには何が必要か、ということを考えることです。
そのためには、そもそもバウバンがクローク型共同体をどのように記述していたのかを詳しく調べる必要がありますし、同様に『観光客の哲学』も再読する必要がありそうです。研究の根が伸びた格好です。
もちろん、それだけで終わりません。たとえば「カーニバル型共同体」という赤いリンクが出てきますが(これは、ここ7年間でこの概念が発展しなかったことを示します)、その言葉を見て、ローティ/朱喜哲のことを想起しました。
最近『バラバラな世界で共に生きる』を読んだ影響でしょう。その本でも共同体の在り方が検討されていますし、また「クラブとバザール」という概念も登場します。
もちろん、カーニバルとクラブとバザールは違います。違うからこそ、この三つの概念が改めて再編できる可能性がある。つまり、クラブとバザールという二種の相反する装置の「あいだ」に入るものとしてカーニバルが挿入できるのではないか。そんな連想が浮かぶわけです。
(”サードプレイス”が赤リンクだったので、後から全体を検索して二つほどリンク付与の作業を行いました)
プルバック式リンク
以上のような思いつきの是非はさておき、ここで強調しておきたいのは、こうしたリンクは「後から振り返る」ことからしか起こらない、ということです。
つまり、「クローク型共同体」を最初に作った2019年に上記のような記述をフルに行うのは不可能なのです。だって、私が『観光客の哲学』を読んだのは2023年ですし、『バラバラな世界で共に生きる』を読んだのは2026年です。全知全能の視点を持たない限り、そのようなページへのリンクを先に作ることはできません。
同様に、『観光客の哲学』を読んだ直後にこのリンクが作れるのかというとそれも否です。
本を読み終えた後、さんざん「観光客」という概念について考えてきて、脳内にそのコンセプトが定着化した後だから、私は連想して思いつくことができました。ここが肝心です。
単純なキーワードの共通性でリンクしたわけではありません。ベクトル検索でもありません。私の脳が「これは近しい構造にあるのではないか」と思いついたのです(私の脳のベクトル検索だという言い方はできるでしょう)。
そうした思いつきは、かつて書いたものを振り返る(カードをくる)ことでしか生じない、と強い主張ができるかどうかはわかりませんが、少なくともそうした振り返りを行ったほうが起きやすい、とは言えるかと思います。
正直なところ、「どんなツールがいいのか」という機能競争はどうでもいいのです。そうではなく、かつて書いたものを振り返り、それを起点に「新しい考え」が起こせるならなんでもよく、そのためには、とにかく簡単に開け、簡単に読め、簡単に書き加えられるという機能が必要で、さらに言えば機能があろうがなかろうが、実際にそれを行うことが一番肝心だ、という話になります。
考えてもみてください。歴代の思想家は、筆記具だけで思索を進めてきたのです。テクノロジーの恩恵は素晴らしいものですが、基盤にあるものを見失ってはいけません。これは別に便利なものがいけないという話ではなく、機能より先に注意を向けるべきものがあるだろう、ということです。
情報を集めてそれをリンクし、俺の最強のナレッジベースを自慢する、というのも楽しい作業でしょうが、自分が時間をかけて「考えていく」ことをサポートしてくれるように知的道具を使っていくことの方が、私は好きです。







